5月7日の深夜に、村上春樹を思う話

仮に変更線をまたいでいたとて、眠って朝を迎えるその時まで、僕にとって今日は今日である。

 

 

 

 

と、なんとも面倒くさい書き出し。

村上春樹を読んだ後は毎回こうなるし、たぶん多くの人にとってそれは、一種のあるあるネタのように、簡単に共感でき得る読後反応なのだと思う。

 

 

 

僕がちょうど中学生の頃、だったと思う。

1Q84が発売されて、世間には5年ぶりの村上春樹ブームが訪れていた。

 

 

同級生の読書好きな面々は、競い合うように村上春樹を読んで、その感想を語り合っていた。

(ように見えた。僕はその面々の一員じゃなかったから、実際彼らがどんな会話をしていたのかは、あんまり知らない。)

 

 

 

特によく読まれていたのは、

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

だったろう。

 

ただこれは、村上春樹を読みたい人たちによってではなく、

長門有希と同じ本を読みたい人たちによって」

だったけれども。

 

 

 

 

でも当時、僕は頑なに、村上春樹を読むことを拒否していた。

 

だいたい、最も尊敬する作家を問われれば、迷わず「星新一」と答える僕である。長編小説を読みたいはずもない。

 

その上、天邪鬼な性格なので、皆がこぞって読むのなら、俺は決して読まないぞ!

と、変なこだわりを持ってこだわりを以って、僕は村上春樹を通らずに生きてきた、のである。

 

 

(というか、別に村上春樹を通らなくたって、生きていけるのだ。

 

 

実際、村上春樹を読んだことない人なんて、世間に山ほどいることだろうし、

村上龍を読んだことない人も、乙一恩田陸佐藤多佳子いしいしんじや、を読んだことない人も、たぶん腐るほど居るはずなのである。

 

 

ただ、星新一を読んだことない人がいるとしたら、それは本当に人生の損なので、悔い改めてほしい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確か、中学2年生の時。

当時の担任が僕に、

村上春樹神の子どもたちはみな踊る』(新潮社  2000)

をくれた。クイズ大会の景品かなんか、だったような気がする。

先生は、読書科という教科の担当だった。

 

 

僕は新潮文庫が好きだ。星新一の作品が、たくさん出版されているからだ。

短編集だし、新潮文庫の作品なら間違い無いだろう・・・と、首を縦にうんうん振りながらって読んで、首を横にうん?と傾げて読み終えた。

 

 

中学2年生の僕には、世間の言う、村上春樹を深みがよくわからなかった。

いやさ、良さはわかった。読後感が良かったのだ。

 

 

『蜂蜜パイ』を読み終えた時には確かな達成感があったし、

彼の書く世界が世間に評価されている理由も、なんとなくはわかった。

けど、星新一の方が好きだった。これは今でもそうだ。

 

 

 

 

そもそも僕は、

村上春樹を読む」

と言う行為に、反感を覚えていたのである。

 

 

 

「中学生にして、村上春樹を読んでいる自分」

みたいな空気をまとったやつが、僕の周りにはたくさんいた。

 

たぶんあの頃、日本のいたるところにそういう中学生がいて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村上春樹を読むということは、特に僕にとってプラスというわけでは無いのだが、それでも0は1になり、1をこそ僕は0と呼ぶのだ。それは夜の海が、昼の白を嘘のように飲み込んで、黒を僕たちに見せつけるようなものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とかなんとか!しゃらくせえことを言ってたに違いないのだ。

頭の悪い村上春樹(村上夏樹)みたいなことを、やれやれやれやれ言いながら、呟いていたのに違いないのだ。

 

 

 

僕はそういう、

村上春樹を読むという行為に満足している中学生」

が、大嫌いだったのだ。

 

 

 

(それはつまり、大学一回生が、

「僕、酒強いんすよ〜。いやぁ、やっぱハイネケン美味しいですわ〜」

とかほざいてるのを見て、イラっとするのと似ている。お前らはオールフリー飲んどけ)

 

 

 

 

村上春樹には、対象年齢設けた方がいいと思う。

今ようやく、村上春樹がちょっとわかるようになって、思う。

 

 

 

人間には何事につけレディネスというものがあって、物事には時宜というものがある。

人の成長具合はそれぞれとはいえ、やっぱり村上春樹は、中学生が味わうようなもんではなかろう。

 

 

 

 

同時に、大人になればわかる、というものでもないだろう。

わかんないよ!村上春樹

 

 

 

だから言うなれば、

「世の中のわかんないことを、受容しなければならない時期」

にこそ、村上春樹は読むべきなのかもしれない。

 

そういう意味では、もののけ姫もそうだよな。

 

 

 

 

 

 

と、こんなことが大体言いたかったらしい。どうやら、僕は。

 

 

 

 

この日記、タイトル見ればわかるように、5月7日の深夜に、酒の勢いで書き始めた。

けども、書き終えないまま寝てしまって、いま、マクドナルドで、最後まで書き終えた。

 

 

あの時の僕が何を言いたかったのか、どんな熱量を持って村上春樹について書こうとしたのか、よくわからない。

 

 

 

 

仕方ない。

わからないことは、受容しなければならない。

 

 

 

 

やれやれ。