5月17日に、このまま死ねないかなと思った話

 


昨日書いた雑記。

 

このまま死ねないかな、と、思うことがある。よくある。

 

こういうことを言うと、そういうことを言うもんじゃないと、どういうことかも理解せずに、お節介ことを言ってくる人がいる。たまにいる。

 


「このまま死ねないかな」にも二種類あって、つまりそれは、ネガティブな死の希求と、ポジティブな死の容認なのだ。

 


今日僕が感じたのは後者、ポジティブな方、前向きな方であるから、お節介なお説教の出番はない。休んでいてくだされ。


そんなに難しい話じゃない。

 


今日は午前中働いて、それから自転車に乗って街をウロチョロし、いい具合に汗をかいた。
程よい疲労感をお供にして、電車に乗った。少しだけ窓が開いていて、そこから入り込む風が、本当にちょうどいいものだった。

 

窓の向こうの青空が綺麗で、白い雲が少しずつ赤く染まっていく中で、UNICORNの『ひまわり』が流れた。

 


「このまま死ねないかな」と、今日、その時に思ったのである。

 


これまでの経験から考えて、どうやら僕は、

 

・程よく疲労していて
・天気が良くて
・風が心地よくて
・好きな音を聞いているときに

 

「このまま死ねないかな」と、思うみたいだ。もっと他に、要素はあるんだろうけども。

 

 


もっともこの感覚が、自分の中で「このまま死ねないかな」という言葉になったのは、つい最近のことだ。

 


言葉にはなっていなかったけれど、思い返せば、中学生ぐらいから、先述のような条件が満たされた時に、僕は漠然とした超越感を覚えていたように思う。

 

夏休みの部活終わり、昼下がり、青空の下で蝉の声を聞きながら、自転車で帰路に着くときや、

 

旅先で、林と林に挟まれた道を歩きながら、隙間に見える青空を眺めたときに。

 

 

僕は常々、人生の最上が今目の前にあるような、恍惚とした気分に包まれていたのである。

 

その積み重ねの果てで、本当の死を迎えたいなぁ。

幸せに包まれて、今が最高だって時に死ねたら、どんなに素晴らしいだろう。

 


だからむしろ、
「このまま死ねないかな」
と思えるのは、良いことなのである。お説教を喰らわなきゃいけないようなことではない。

 


毎日が幸せだからこそ、そう思うのです。満たされているなぁと思うから、死んでもいいと思えるのでしょう。

 

 

ただ、まぁ、まだ早い。
この恍惚を、超越感を、あるいは虚無感を、もっともっと感じていきたい。


「このまま死ねないかな」と思いながら、満たされながら、死なずに日々を生きられるのが、一番幸せなことなのかもしれませんね。


明日もそうだろうか。