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3月21日に、おじいちゃんを思い出した話

 

2006年3月21日、おじいちゃんが死んだ。76歳だった。


おじいちゃんの家は、僕の家と隣り合っていて、庭を歩いて10秒もかからず、会いに行くことができた。


僕が物心ついた時から、おじいちゃんはずっと体調が悪かった。
トウセキに通っているのだ、と聞いていた。

幼い僕がトウセキという言葉を聞いても、果たしてそれがどんなものなのか、あまりイメージは湧かなかった。

ただ、トウセキが終わって、家に帰ってきたおじいちゃんは、いつにも増して疲れ切っていたことだけを、なんとなく覚えているのだ。

 


おじいちゃんは、足腰も悪かった。
僕が幼稚園に通っていた頃までは、まだ杖をつきつつお散歩に出かけたりしていたが、
小学校中学年に至った頃には、もうそんなこともあまりしなくなっていた。
籐の椅子に座って、テレビを眺めていることが多かった。


クラシック音楽が好きで、よく僕に聞かせてくれた。
音楽や芸術に対する造詣やセンスは、割と僕がその血を引いている。

字を書いたり、絵を描いたりするのもうまかったが、これは僕ではなくて、妹が受け継いでいるようだ。

 

戦争の話をするときは、生き生きしていた。
空襲が来たらどう伏せるとか、手旗信号でSOSをどう伝えるか、とか。
悲壮感なく、懐かしそうに語っていたのが印象的だった。


でも、戦死したお兄ちゃんの話は、ついに直接話してはくれなかった。

 

野球が好きだった。子どもの頃から巨人ファンだったのに、王監督が嫌いで、阪神ファンになったと語っていた。
でも僕は、おじいちゃんが巨人の試合結果を気にしていたのを知っている。


命日がちょうど、WBCの決勝戦だった。
最晩年、朦朧として、いろんなことがわかんなくなっても、
「日本は勝ったんか?」
と尋ねていたらしい。さすがに、戦争のことではなかったと思う。
そういえば、奇しくも日本の監督は、王貞治だった。


ケチな人だったし、割と神経質な人だった。
僕たち孫がうるさくしていると、
「静かにしなさい!」
と、よく一喝していた。

とはいえ、基本的には優しい人だったので、特別怖いと思うことはなかった。

 

 

ひとつ、よく覚えている思い出がある。僕が確か、5歳の時のことだ。
うちの飼い犬(ちゃちゃ、という名前だった)が、おじいちゃんちの窓を、ガンガンとたたいたのである。

庭に面した大きな窓で、当時僕たちはそこから出入りしていたので、たぶんちゃちゃも、中に入りたかったのだろう。


おじいちゃんははじめ、優しくちゃちゃを叱っていた。やめなさい、と言っていたと思う。
けれど、彼女(メスだった)はやめなかった。中に入れてくれー、と言わんばかりに、窓をガンガン叩き続けた。

 

 

その時、おもむろにおじいちゃんが立ち上がった。
立ち上がったおじいちゃんは、眼光鋭くちゃちゃを睨みつけ、

そして大きな声で、僕の名前を叫んだ。

 

 

 

 

少しの間、不思議な沈黙があってから、おじいちゃんは椅子に座りなおした。そして小さな声で、

 

「・・・ちゃうわ。」

 

と呟いた。

 

 

でもおじいちゃんは、ちゃちゃを愛していた。
入院中、お見舞いに行くと、
「ちゃちゃのことだけが心配や」
と、よく言っていたらしい。

家族の写真なんて欲しがらなかったおじいちゃんは、ちゃちゃの写真だけを、枕元に飾っていたそうだ。

 

 

おじいちゃんは晩年、入退院を繰り返していた。
はじめ甲南病院に入院していたが、気に入らず、県立医大病院に移った。
僕は甲南病院の内装が好きだったので、少し残念だった。

 

 

2006年のある朝、学校に行こうと表に出たら、ちょうど病院のワゴン車が、おじいちゃんを迎えに来たところだった。

「ちょっと行ってくるわー」

と言って、おじいちゃんはヨロヨロと車に乗り込んで言った。病院の人に、体を支えられていた。
僕は、行ってらっしゃい、と言った。

 

 

それが最後の会話になった。
行ってらっしゃいが、逝ってらっしゃいになってしまうとは。

 

 

あれから、11年経った。
おじいちゃんの面影は、年々薄れていく。
籐の椅子は、経年劣化でボロボロになり、捨てられてしまった。
ちゃちゃの写真は、おじいちゃんと一緒に荼毘に付された。
そういえば、愛用の杖はどこに行ってしまったのだろう。

 


おじいちゃんを知らない世界は、どんどん増えていく。
僕が落語を大好きになったことも、
父や兄と同じ学校に通い、卒業したことも、
僕と名前を間違えたちゃちゃが亡くなったことも、
おじいちゃんは知らない。

 


明日、おじいちゃんがいなくなってからの時間の方が、おじいちゃんと暮らした時間よりも、長くなる。


だからと言って、どうこうない。僕の日々は変わらない。
変わらないからこそ、血とか命とか言うものは、シレッとした顔でズンズンと続いていくのだろう。

 

 

こんな日記を、僕は今、僕の部屋で書いている。
かつておじいちゃんの部屋だったこの部屋には、まだかすかに、彼の面影が残っている。