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もののけ姫考察③

●サンにとってのアシタカ

 

アシタカ、ひいては蝦夷の一族は、まさに今、淘汰され、滅びにむかおうとしている一族であり、その点において彼らは、もののけ達と道を同じくしている。

 

また、狩猟採集民族である彼らは、変わりつつある大和民族とは違い、今なお、原始宗教的な信仰を保つ一族であり、そう言った点を鑑みても、彼らは「旧人」の側に分類できると言えよう。(タタリ神への対応ひとつ取っても、タタラ場の民とは全く異なる)

 

 

その長となるべき若者、アシタカは、タタラ場に至るまでの旅路で、この国の、また、時代の変化を目の当たりにしてきたはずだ。

 

もはや蝦夷の一族の在り方、つまり旧時代的なヒト(=旧人)の在り方が、通用しない世の中になりつつあることを、彼はその身を以て学んでいたはずである。(貨幣経済への不適応が好例)

 

 

その旅路の末に、タタラ場の社会的平等 ―これはあくまでも、作られた平等だ― を目にした彼は、そこでの歓待を受け入れる。

 

自ら大屋根の作業を手伝う姿勢などを見ても、決してタタラ場の暮らしに対して、悪い印象を抱かなかったことはわかるだろう。

 

アシタカはタタラ場の暮らしそのものを、悪とは認識していなかったのである。そもそもそうでなければ、物語のクライマックスにおいて、アシタカがタタラ場での暮らしを受け入れようはずもない。

 

 

 

しかし、そうは言うもののアシタカは、本項冒頭で示した通り、もののけたちと道を同じくしている一族、蝦夷の若者である。

 

もののけや、森の暮らしを蔑ろにする人間の在り方を、合理的であるとは理解しつつも、全面的に良しとはしてない。

 

 

だからこそ、葛藤が生じる。言うまでもなくその葛藤は、作中で何度も用いられる、

「共に生きる」

という言葉に集約されている。

 

 

 

サンにとってアシタカは、初めて出会った理解者、認識の共有者である。

 

前項で示した通り、少なくともサンはこれまで、自分と同じタイプのヒト(=旧人)と、出会うことがなかった。

 

サンにとって全てのヒトは、

もののけや、森の暮らしを蔑ろにする存在(=人間)」

であり、はっきり言えば敵である。

 

世の中いろんなヒト(今回で言えば、人間と旧人、のような)がいるなんてことは、思考の端にすら存在しなかったことだろう。

 

だからこそ、サンはアシタカと出会ったことで、多少なりとも心動くのである。

 

 

 

●サンは「人間」を許すことができない

 

前項の最後で、「多少なりとも」という表現を用いた。それはなぜかというと、実はアシタカの登場すら、サンの『人間』に対する認識を全て覆すだけの力は、持っていなかったからである。

 

 

物語のラストシーン、

「アシタカは好きだ。けど、人間を許すことはできない。」

と言って、サンは森へと戻っていく。

 

 

このセリフ、よく読み解いてほしい。

サンは、アシタカを、人間に分類していないのである。

 

もしこのセリフが、

「アシタカは好きだ。けど、他の人間を許すことはできない。」

であったならば、ラストシーンの持つ意味合いが、大きく変わってきたことだろう。

 

 

だが、実際にサンの口から発された言葉は、違うのである。

彼女はアシタカを、人間と別のところに置いている。つまり、

 

「人間=森を侵す敵」

 

という、彼女が持っていた認識そのものは、未だ取り払われていないし、取り払えないのだ。

 

 

 

本項の項題を見てほしい。サンは「人間」を許すことができない、である。

 

サンが「人間」を許すことができないというのは、感情的にということではなく、物理的に、なのだ。

 

なぜなら、サンにとって「人間」とは、生物種ヒトのうち、敵を指して用いられる言葉だからだ。

 「人間」という言葉が、「敵」という言葉と同義である以上、サン自らが「人間」になれないのはもちろん、サンがもし「人間」を許したとしても、もはやその対象であるヒトは、「人間」に該当しない存在になってしまうのである。

 

ちょうどアシタカが、「人間」から、アシタカとして認識されたのと同様に。

 

 

つまりは、サンがどれだけどう心変わりしたとしても、「人間」を許すという行為そのものが、サンには不可能である、ということだ。

 

 

 

なので、もしサンとタタラ場が和解する道が残されているとすれば、

「タタラ場の民が人間(=森の敵)ではなくなること」

しかない。はっきり言って、ありえない道である。

 

だからこの映画、難しいのである。

人間は森の敵だからこそ人間なのであって、サンはヒトであるけれども、どうあがいたって、人間に戻ることはできないし、人間を許すことはできないのである。

 

 

 

相当ややこしくなってきたので、この考察における言葉の使い方を改めてまとめると、

 

 

 

人間=森を侵すヒト、エボシ筆頭に、タタラ場の民など

 

旧人=森を崇敬するヒト。サン。

 

ヒト=生物種としてのヒト。人間と旧人