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3月8日と9日に、道後温泉へ行った話⑤

道後温泉本館を出て、正岡子規記念館に向かった。
そもそも同行人は、ここに行きたくて、僕を道後温泉に誘ったのだ。谷崎の文学が好きなくせに!

 

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入り口前の小さな広場で、NHKラジオの公開収録、その準備がされているのを見かけた。
並べられたパイプ椅子には、おじいさんが一人座って、眠っていた。
最後まで様子を見ることはできなかったが、少しは観衆も集まったのだろうか。心細い有様だった。

 

 

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館内の撮影は、一部を除いて禁止だった。多いな撮影禁止!
でも、スーツケースを、受付で預かってくれて、大いに助かった。
相棒は、ここでもまた、割引券を使った。嬉しそうだった。


僕の中で、正岡子規のイメージは、あまり良いものではなかった。
俳諧を俳句として成立させたことはさておき、晩年病床で、病気で弱気な俳句ばっかり読んでたという負のイメージしかなかった。
写真は横を向いてるし。


ただ今回、そのイメージがガラッと変わった。彼がやったことは、桂米朝そのままではないか!

 

掛詞などの技術、滑稽さに流れていた俳諧の路線を、芸術性高い現在の俳句へと原点回帰させたのだ。
そのために、膨大な量の発句を読んで、分類して、系統だてた。

気の遠くなるような作業だ。
しかもそれを、34歳で早逝するまでの間に、ほとんどやり遂げてしまったというのだから、すごい。


何よりも目を引いたのは、一番最後の展示、絶筆三句の実物である。
(たぶん実物だったはず)

その死に際、高弟・河東碧梧桐が、子規に筆を手渡し、書かせたものだ。
もはや力なく、縦書きの順序すらも守られていないその三句に、子規の執念を突きつけられたような気がした。

 

糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
をとゞひの へちまの水も 取らざりき


こんなにすごい人を、これまで誤解していたとは。反省しかない。

 

「訪ね来て 日替わる四季や ほととぎす」新満

 

 

 

 

 

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唯一撮影可能だった、愚陀仏庵の復元。ここの二階に漱石が、一階に子規が住んだのだという。
時折、写真の座敷に集まり、仲間たちと文学や、句作について話し合ったという。

 

 

 

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復元セットだから、正直、あまり風情はない。
ただ、ここに座って仲間が来るのを待つ時間というのは、なんとも耽美に思える。

句作に励むところへ、漱石が二階から降りて来たり、仲間が訪ねて来て話し込んだり、したのだろうか。
楽しかったろうな、と思う。

 

お誕生日席に座っていたら、同行人が、わざわざ入り口まで戻って、
おう!と言いながら中へ入って来た。訪問者風に遊んだのである。

アホか、と言って笑った。


記念館を出ると、もうラジオ収録は終わっていて、パイプ椅子も撤去されていた。
賑わったのか、外れたのか、わからずじまいだった。

 

それから、道後ハイカラ通りに戻って、目星をつけておいたお土産を購入。一六タルトの桜味(期間限定)と、栗焼酎と日本酒。
他にも欲しいものはあったのだけど、重たくなるし、予算もあるし、断念。焦らなくたって今時、取り寄せだってなんだってできるのだ。つまらん。


僕はスムーズに買えたけど、同行人は四苦八苦していた。知り合いが多い人間は、こういう時に大変だ。

 

 

 

 

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なんとか土産を買い終えて、じゃこ天カツと、太刀魚の巻き焼きを食べ歩く。
じゃこ天カツは思っていた通りの味で、善哉だった。太刀魚は、思っていた味と少し違ったけど、こちらもまた美味しかった。


時計を見ると、14時50分。少し焦る僕たち。
実は14時59分発の、坊ちゃん列車に乗る予定があったのだ。


黙っていて申し訳ない。お土産を買う前に、乗車整理券も買ってしまっていた。黙っていて申し訳ない。

 

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乗り場まで、徒歩5分。乗り遅れることはないけれど、せっかくだから、列車の転回作業を見たかった。

 

 

 

 

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なんとか転回を見ることもできて、意気揚々と、乗り込む。団体客が遅れていて、立ち乗りと言われていたけれど、座れた。

なんたる幸運!と思いきや、小さなマッチ箱のような(by夏目漱石)車内であり、座っていると、ほとんど外の様子が見えないし、体を動かすこともできない。
これで移動していた当時の人たちは、ひょっとすると、今の半分くらいの大きさだったんじゃあろまいか。

 

 

 

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運転手ほか、乗車員の笑顔が素敵だ。愛嬌あって、案内アナウンスも爽やかだった。
服装も、かつての市電職員のそれであり、そこにいるだけで風情があった。

何度もいうが、本当に、観光客を喜ばせる気持ちに溢れた街だ。大好き。


坊ちゃん列車が松山市駅にたどり着いて、僕たち乗客はゾロゾロと降りていく。
その後、道後温泉駅とは異なる、人力による転回を見守る。

 

 

 

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文字通り、人の力で持って客車を回し、方向を転換させるのである。すごい作業だ。夏場なんか、キツイキツイに違いない。
高瀬の綱引きを思い出す。

 

さらに嬉しいのが、坊ちゃん列車乗車券の特典である。乗車券を提示することによって、松山市駅目の前、高島屋屋上の、観覧車に無料で乗ることができるのだ。
観覧車自体は月並みな大きさであるが、高島屋屋上に聳えているため、結構高いのである。松山城と被ってるぞ!

 

残念なことに、この日は強風のため、観覧車は動きを止めていた。ううむ、プラマイゼロ。

 

「はるかぜや 仕事を休む 観覧車」新満

 

 

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少しお腹が空いていたので、ちょっと歩いて、とんかつの店へ。
目当てはとんかつではない。

 

 

 

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とんかつパフェだ。
思っていたよりも、ボリュームはない。

手づかみで食べるので、フィンガーボウルが付随している。

 

とんかつとパフェ、合わないことはなかったし、たいそう美味しかったが、別々で食べたいなあと思った。正直ね。

 

それでも、とんかつが薄くしてあったり、アイスがバニラでなく抹茶であったりと、パフェとして美味しくなるような工夫が施されていた。
試行錯誤の後が見えて、お主やりよるな、と呟く。

 

一人一品以上というルールだったので、カキフライ丼も頼んだ。牡蠣もうまい!!!!


満足して、店を出る。またちょっと歩いて、今度はデザートを食べる。
(とんかつパフェもデザートやろ、とか言われても、僕は一切感知しない。)

 

 

 

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ひぎりやの、ひぎりやき。
たしかひとつ90円で、僕たちは、クリームとあんこを一つずつ買った。

味は、御座候に近かった。御座候よりも、少し皮が厚く、パリパリしている感じ。
御座候を持ち帰って、トースターにかけたら、再現できないかなぁ。美味しかったから。

 

時計は大体、16時15分くらいを指していた。僕たちは、また焦った。


松山市駅から徒歩5分の位置に、子規堂という史跡がある。その説明は後回しにする。時間がないから。
16時半までに受付しないと、中を見学できないのである。急げ!

 

 

 

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急いだら、余裕で間に合った。16時20分前後。
拝観料は、大人ひとり60円。やっすい。

 

 

 

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子規堂は、若き日の子規が暮らした家を、忠実に再現した建物だ。
当初は、移築された本物の家があったのだが、戦災によって失われてしまった。
そういえば、松山城の石垣の一部も、戦災によって欠けてしまっている。明治を江戸を、昭和の瞬間が破壊した。遣る瀬無い平成の私。

 

 
正直、子規堂の中は汚かった。
展示品の説明も結構雑で、複製品も多い。

 

要するに、子規記念館が出来てしまった今となっては、おまけのような扱いなのだろう。
とはいえ、古ぼけて汚くて、埃っぽい建物であるから余計に、子規の暮らした風情が感じられるようにも思った。いや、よくいえば、ね?

 

 

 

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子規堂の向かい側に、実際に使われていた、坊ちゃん列車(当時はもちろん、そうは言わなかったろうけど)の客車が安置されている。
風雨に晒されているわりに、保存状態は良く、この電車に漱石や子規が乗ったのかと思うと、感慨深い。そりゃまあ、たぶん違う客車だろうけどね。


用便等々済ませて、時計を見ると、17時手前だった。

帰りの高速バスは、17時50分に松山市駅を出発する。
余裕を持って帰ろうと、子規堂に別れをつげて、松山市駅に戻った。

 


余った時間でお土産を買いたかったのだが、思いの外、松山市駅周辺には、お土産を買えそうな店がない。

 

土産物屋は道後温泉周辺に固まっているようで、最後の最後で、少しだけ残念であった。

 
というのも、同行人が、欲しかったものを買い忘れていたのである。
姫だるまという、道後温泉独特のだるまだ。

 

小さなものから大きなものまで、様々なのだが、なぜか彼の琴線に触れたらしく、欲しい!と昨日から言っていたのだ。

旅行に誘ってくれた同行人へのお礼に、僕は姫だるまを買ってあげようと思っていた。

 

けれど結局、松山市駅周辺で、姫だるまを発見することはできなかった。
いや、あるにはあったのだ。高島屋の6階、和食器売り場に。
立派な立派な姫だるまが。値段の高すぎる、ね。


僕たちはだるまじゃないから、転んで立つことはできなかった。ごめんな、相棒。諦めて帰ろう。

 


高島屋を出て、高速バスの待合所に向かう。
17時40分過ぎ、三宮行きのバスが、駅前にやってきた。荷物を乗せて、乗り込んで、出発を待った。

 


17時50分、予定通りに、バスは松山市駅を発車した。車内は行きよりも混んでいたが、それでもまだ、空席が目立った。荷物を再び、隣の席に置いた。

 

駅を完全に去る直前、最後にもう一度、観覧車を見上げた。
もはや彼は仕事を再開していて、カップルやなんやを、その身体に載せていた。
風は知らぬ間に、止んでいたようだった。


僕たちの旅行は、こうして終わった。