3月9日に、旅を終えて帰って来た話(あとがきのようなもの)

帰りの車内で、今回の旅日記を書き始めた。

そう、ここでようやく、その①の時系列に戻ることができるのである。

 

隣で相棒は、ぐっすり眠っていた。
窓の外は暗く、消灯されない車内から、夜の四国の様子を確認することはできなかった。


気がつけば僕も、眠っていた。
吉野川SA直前で、目が覚めた。

 

眠る同行人を横目に、SAで用を足し、再度お土産を眺める。ひめだるまはなかった。

 

代わりにはならないけれど、相棒のために、みきゃん(愛媛のゆるキャラ、みかんの犬)のポーチを買った。
彼は、常備薬の胃薬やなんやを、小さなポーチに入れて使っているのだが、それがずいぶんくたびれていることに、この旅行中気づいていたから。

 

 


ひょっとすると、これを読んでいるあなたは、僕たちを気持ち悪いと思うかもしれないね。
ただ、友情とは得てしてこういうものだし、加えて申し上げるならば、ここに書かれていることが全て真実である保証などないということを、どうか知って欲しい。

 


バスに戻っても、相棒はまだ眠っていた。
僕も再び、眠りについた。気が付いた時には、1時間近くが経過していて、四国を抜け、淡路島に辿り着いていた。

 

僕たちの街も、僕たちの日常も、もうすぐそこだった。


明石海峡大橋に差し掛かった時、ずっと眠っていた相棒が目を覚ました。

 

イヤホンを外して、「いい曲だからずっとリピートしていた」、なんて言っている。寝ていたくせに。

ほな聞かせてというと、自分のイヤホンを使えという。耳カスがつくのが嫌らしい。同じ風呂に入っておいて、いまさら何をいうやら。


相棒は、相対性理論の『ヤミヤミ』を聞いていた。可愛い曲だけど、奴のキャラに合わないやつだし、何より眠りにつく歌じゃなかろう!

旅の終わりに聞く声が、やくしまるえつこだとは思わなかった。

 

お返しに、フジファブリック『夜汽車』を聞かせた。
旅の終わりに聞く声を、志村正彦にしてやった。相棒は、照れ臭そうにはにかんでいた。

 

大学四回生同士とは思えない時間だった。これは、女の子同士がやらないと映えないやつだなぁと、旅の最後に笑った。


そうしてキャッキャしてるうちに、バスは三宮についてしまった。日常が僕たちを迎えてくれた。


僕たちと入れ違いに、三田行きのバスと、淡路島行きのバスに、たくさんの人が乗り込んで行った。たぶんきっと彼らは、これから日常に帰るのである。
日常と日常が交差する場所に、僕たちはいた。


JRに乗って帰る同行人を、阪急の僕は見送るのが筋だ。

筋なのだが、なんだかどうしても寂しくて、結局僕も、JRで帰ることにした。20分電車を待った。思い出を整理して、寂しく笑った。

 

忘れないうちに、みきゃんのポーチを渡した。
気色悪いねんと言いながら、相棒はそれを受け取った。


電車が来た。
相棒が新快速に乗って、姫路方面へ去っていくのを見送った。


旅は本当に終わった。非日常が終わった。
三宮の夜が、煌々と輝く夜が、日常をきらめかせていた。

 

たった一泊二日の非日常が、僕の日常を彩った。旅はいい。本当にいい。


願わくば少しでも、僕の楽しかった経験や気持ちが、あなたに伝わりますように。
3月11日の夜、いろいろなことを考えながら、ようやく僕は、親指を置くのであった。

3月8日と9日に、道後温泉へ行った話⑤

道後温泉本館を出て、正岡子規記念館に向かった。
そもそも同行人は、ここに行きたくて、僕を道後温泉に誘ったのだ。谷崎の文学が好きなくせに!

 

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入り口前の小さな広場で、NHKラジオの公開収録、その準備がされているのを見かけた。
並べられたパイプ椅子には、おじいさんが一人座って、眠っていた。
最後まで様子を見ることはできなかったが、少しは観衆も集まったのだろうか。心細い有様だった。

 

 

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館内の撮影は、一部を除いて禁止だった。多いな撮影禁止!
でも、スーツケースを、受付で預かってくれて、大いに助かった。
相棒は、ここでもまた、割引券を使った。嬉しそうだった。


僕の中で、正岡子規のイメージは、あまり良いものではなかった。
俳諧を俳句として成立させたことはさておき、晩年病床で、病気で弱気な俳句ばっかり読んでたという負のイメージしかなかった。
写真は横を向いてるし。


ただ今回、そのイメージがガラッと変わった。彼がやったことは、桂米朝そのままではないか!

 

掛詞などの技術、滑稽さに流れていた俳諧の路線を、芸術性高い現在の俳句へと原点回帰させたのだ。
そのために、膨大な量の発句を読んで、分類して、系統だてた。

気の遠くなるような作業だ。
しかもそれを、34歳で早逝するまでの間に、ほとんどやり遂げてしまったというのだから、すごい。


何よりも目を引いたのは、一番最後の展示、絶筆三句の実物である。
(たぶん実物だったはず)

その死に際、高弟・河東碧梧桐が、子規に筆を手渡し、書かせたものだ。
もはや力なく、縦書きの順序すらも守られていないその三句に、子規の執念を突きつけられたような気がした。

 

糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
をとゞひの へちまの水も 取らざりき


こんなにすごい人を、これまで誤解していたとは。反省しかない。

 

「訪ね来て 日替わる四季や ほととぎす」新満

 

 

 

 

 

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唯一撮影可能だった、愚陀仏庵の復元。ここの二階に漱石が、一階に子規が住んだのだという。
時折、写真の座敷に集まり、仲間たちと文学や、句作について話し合ったという。

 

 

 

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復元セットだから、正直、あまり風情はない。
ただ、ここに座って仲間が来るのを待つ時間というのは、なんとも耽美に思える。

句作に励むところへ、漱石が二階から降りて来たり、仲間が訪ねて来て話し込んだり、したのだろうか。
楽しかったろうな、と思う。

 

お誕生日席に座っていたら、同行人が、わざわざ入り口まで戻って、
おう!と言いながら中へ入って来た。訪問者風に遊んだのである。

アホか、と言って笑った。


記念館を出ると、もうラジオ収録は終わっていて、パイプ椅子も撤去されていた。
賑わったのか、外れたのか、わからずじまいだった。

 

それから、道後ハイカラ通りに戻って、目星をつけておいたお土産を購入。一六タルトの桜味(期間限定)と、栗焼酎と日本酒。
他にも欲しいものはあったのだけど、重たくなるし、予算もあるし、断念。焦らなくたって今時、取り寄せだってなんだってできるのだ。つまらん。


僕はスムーズに買えたけど、同行人は四苦八苦していた。知り合いが多い人間は、こういう時に大変だ。

 

 

 

 

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なんとか土産を買い終えて、じゃこ天カツと、太刀魚の巻き焼きを食べ歩く。
じゃこ天カツは思っていた通りの味で、善哉だった。太刀魚は、思っていた味と少し違ったけど、こちらもまた美味しかった。


時計を見ると、14時50分。少し焦る僕たち。
実は14時59分発の、坊ちゃん列車に乗る予定があったのだ。


黙っていて申し訳ない。お土産を買う前に、乗車整理券も買ってしまっていた。黙っていて申し訳ない。

 

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乗り場まで、徒歩5分。乗り遅れることはないけれど、せっかくだから、列車の転回作業を見たかった。

 

 

 

 

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なんとか転回を見ることもできて、意気揚々と、乗り込む。団体客が遅れていて、立ち乗りと言われていたけれど、座れた。

なんたる幸運!と思いきや、小さなマッチ箱のような(by夏目漱石)車内であり、座っていると、ほとんど外の様子が見えないし、体を動かすこともできない。
これで移動していた当時の人たちは、ひょっとすると、今の半分くらいの大きさだったんじゃあろまいか。

 

 

 

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運転手ほか、乗車員の笑顔が素敵だ。愛嬌あって、案内アナウンスも爽やかだった。
服装も、かつての市電職員のそれであり、そこにいるだけで風情があった。

何度もいうが、本当に、観光客を喜ばせる気持ちに溢れた街だ。大好き。


坊ちゃん列車が松山市駅にたどり着いて、僕たち乗客はゾロゾロと降りていく。
その後、道後温泉駅とは異なる、人力による転回を見守る。

 

 

 

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文字通り、人の力で持って客車を回し、方向を転換させるのである。すごい作業だ。夏場なんか、キツイキツイに違いない。
高瀬の綱引きを思い出す。

 

さらに嬉しいのが、坊ちゃん列車乗車券の特典である。乗車券を提示することによって、松山市駅目の前、高島屋屋上の、観覧車に無料で乗ることができるのだ。
観覧車自体は月並みな大きさであるが、高島屋屋上に聳えているため、結構高いのである。松山城と被ってるぞ!

 

残念なことに、この日は強風のため、観覧車は動きを止めていた。ううむ、プラマイゼロ。

 

「はるかぜや 仕事を休む 観覧車」新満

 

 

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少しお腹が空いていたので、ちょっと歩いて、とんかつの店へ。
目当てはとんかつではない。

 

 

 

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とんかつパフェだ。
思っていたよりも、ボリュームはない。

手づかみで食べるので、フィンガーボウルが付随している。

 

とんかつとパフェ、合わないことはなかったし、たいそう美味しかったが、別々で食べたいなあと思った。正直ね。

 

それでも、とんかつが薄くしてあったり、アイスがバニラでなく抹茶であったりと、パフェとして美味しくなるような工夫が施されていた。
試行錯誤の後が見えて、お主やりよるな、と呟く。

 

一人一品以上というルールだったので、カキフライ丼も頼んだ。牡蠣もうまい!!!!


満足して、店を出る。またちょっと歩いて、今度はデザートを食べる。
(とんかつパフェもデザートやろ、とか言われても、僕は一切感知しない。)

 

 

 

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ひぎりやの、ひぎりやき。
たしかひとつ90円で、僕たちは、クリームとあんこを一つずつ買った。

味は、御座候に近かった。御座候よりも、少し皮が厚く、パリパリしている感じ。
御座候を持ち帰って、トースターにかけたら、再現できないかなぁ。美味しかったから。

 

時計は大体、16時15分くらいを指していた。僕たちは、また焦った。


松山市駅から徒歩5分の位置に、子規堂という史跡がある。その説明は後回しにする。時間がないから。
16時半までに受付しないと、中を見学できないのである。急げ!

 

 

 

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急いだら、余裕で間に合った。16時20分前後。
拝観料は、大人ひとり60円。やっすい。

 

 

 

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子規堂は、若き日の子規が暮らした家を、忠実に再現した建物だ。
当初は、移築された本物の家があったのだが、戦災によって失われてしまった。
そういえば、松山城の石垣の一部も、戦災によって欠けてしまっている。明治を江戸を、昭和の瞬間が破壊した。遣る瀬無い平成の私。

 

 
正直、子規堂の中は汚かった。
展示品の説明も結構雑で、複製品も多い。

 

要するに、子規記念館が出来てしまった今となっては、おまけのような扱いなのだろう。
とはいえ、古ぼけて汚くて、埃っぽい建物であるから余計に、子規の暮らした風情が感じられるようにも思った。いや、よくいえば、ね?

 

 

 

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子規堂の向かい側に、実際に使われていた、坊ちゃん列車(当時はもちろん、そうは言わなかったろうけど)の客車が安置されている。
風雨に晒されているわりに、保存状態は良く、この電車に漱石や子規が乗ったのかと思うと、感慨深い。そりゃまあ、たぶん違う客車だろうけどね。


用便等々済ませて、時計を見ると、17時手前だった。

帰りの高速バスは、17時50分に松山市駅を出発する。
余裕を持って帰ろうと、子規堂に別れをつげて、松山市駅に戻った。

 


余った時間でお土産を買いたかったのだが、思いの外、松山市駅周辺には、お土産を買えそうな店がない。

 

土産物屋は道後温泉周辺に固まっているようで、最後の最後で、少しだけ残念であった。

 
というのも、同行人が、欲しかったものを買い忘れていたのである。
姫だるまという、道後温泉独特のだるまだ。

 

小さなものから大きなものまで、様々なのだが、なぜか彼の琴線に触れたらしく、欲しい!と昨日から言っていたのだ。

旅行に誘ってくれた同行人へのお礼に、僕は姫だるまを買ってあげようと思っていた。

 

けれど結局、松山市駅周辺で、姫だるまを発見することはできなかった。
いや、あるにはあったのだ。高島屋の6階、和食器売り場に。
立派な立派な姫だるまが。値段の高すぎる、ね。


僕たちはだるまじゃないから、転んで立つことはできなかった。ごめんな、相棒。諦めて帰ろう。

 


高島屋を出て、高速バスの待合所に向かう。
17時40分過ぎ、三宮行きのバスが、駅前にやってきた。荷物を乗せて、乗り込んで、出発を待った。

 


17時50分、予定通りに、バスは松山市駅を発車した。車内は行きよりも混んでいたが、それでもまだ、空席が目立った。荷物を再び、隣の席に置いた。

 

駅を完全に去る直前、最後にもう一度、観覧車を見上げた。
もはや彼は仕事を再開していて、カップルやなんやを、その身体に載せていた。
風は知らぬ間に、止んでいたようだった。


僕たちの旅行は、こうして終わった。

 

3月8日と9日に、道後温泉へ行った話④

一番最初の記憶は、目覚ましを止めたことだった。
3月9日、5時20分頃のことである。


次に目が覚めた時、時計は6時20分を指していた。相棒と二人、あちゃー、と声に出す。時太鼓は、とうに鳴り終わっている。

あちゃーの母音aが聞こえ終わるか終わらないかで、僕たちはまた眠りに落ちた。
完全に二人が起き上がったのは、7時半手前のことだった。


朝食は、8時にお願いしていた。
1階のレストラン(とは言い上、見た目は食堂、というか、ご飯食べブースという感じの広間)で、和朝食をいただく。

 

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名物のじゃこ天があって、嬉しかった。魚の焼き具合も、うまいものだった。
白ごはんは、自分でよそうシステム。トラック野郎はそれでいいのだ。

 

キャラに合わないけれど、実はあんまり、和朝食が好きではない。
そんな僕でも、美味しく食べることができたのだから、ここのご飯は美味しいという口コミに、誤りはなかったのだろう。
予算が許せば、晩御飯も食べたかったが、3月に閉館するこの宿、もはや叶わぬ夢である。

 


朝ごはんを食べながら、この建物の今後について、同行人とあれこれ話す。

買い手があったら改装されて、綺麗になって使われるんじゃないか、とか。
道後温泉全体が不景気なら、廃墟化する前に取り壊されるんじゃないか、とか。
いずれにしても、諸行無常の響きある朝食だった。

 


いったん部屋に戻って、横になる。
食べてすぐ寝たら牛になるという伝説の信ぴょう性について、話す。
どんなにバカバカしい話をしても、それなりに盛り上がるのが旅行の力だ。思い出しても楽しい。

でも、こんなバカバカしい話をしていたせいで、宿の朝風呂に入ることができなかった。
10時前に、チェックアウト。

 


昨日に増して、寒かった。
しっかり防寒していても、頭と顔は冷たい。最近学んだのだが、僕は頭と顔を冷やすと、お腹が痛くなるらしい。

 

 

 

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宿の正面、来館時には気がつかなかったのだが、菜の花でいっぱいだった。


黄色が彩る景色、気がつかなかったものがそこにあるというのが、余計に僕たちを感傷に浸らせる。この宿がなくなっても、菜の花は咲き続けるのだろうか。
写真では、うまく伝わらないのが悔しい。

 

 

 

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スーツケースをゴリゴリ引きながら、三度道後温泉本館にチャレンジ。
「満席」という文字が見えたのでドキッとしたが、上から2番目のグレードが、ということだった。
僕たちの目当て、下から2番目のグレードは、余裕たっぷりらしい。よかった。

 

下から2番目のグレード、具体的には、

・神の湯に入湯できる
・2階大広間で休憩ができる(お茶とお菓子付き)
・3階坊ちゃんの間(夏目漱石ゆかり)を見学できる

という、3つがセットになったグレードだ。840円。
ここでようやく同行人は、割引券を使うことができた。一人700円くらいになった。


スーツケースを置く場所がないんじゃないかと心配していたが、2階の休憩室に置くことができるとのこと。安心。
(その代わり、鍵をかけて、貴重品は入れないでください、という前提)


道後温泉本館も、館内は撮影が禁止されていた。
千と千尋の神隠し』のモデルとして名高い浴場だが、むしろ松山城とよく似ているように感じた。

案内の人に尋ねてみると、
「城大工の坂本又八郎が起用されています、鋭いですね」
と褒められた。


風呂に入る前に、又(ゆう)新殿を見学。拝観料は別料金260円だが、上二つのグレードだと、こちらも料金に含まれるらしい。

 

又新殿は、皇室専用の湯殿だ。こちらも言うまでもなく、撮影禁止。気になる人は、松山市のホームページなどご覧なさい。

庵治石を用いた湯殿に、うっすらと黒い線が残っていた。お湯が入っていた名残らしい。
ただ実際に利用された回数は少なく、昭和天皇が、昭和25年の行幸時にお使いになられたのが最後らしい。

警備の都合上、もう二度と使われることはないのだという。時代。

 

 

 

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それから、坊ちゃんの間を見学。こちらは、撮影が許可されている。

といっても、特に珍しい展示や、史跡があるわけでもなく、ここに漱石も来たんだなぁ・・・と、想いを馳せるくらいしか、することはない。

 

 

 

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それにしてもこの漱石TOKIO松岡昌宏に似てませんか?

 

 

 

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こっちは少し山田孝之に似ている。

 

 

休憩室に戻り、貴重品だけを持って・・・いや違う、貸しタオルも持っていた。1つ60円で、みかん石鹸が付いてくる。
着替えも持ってたし、全然貴重品だけじゃなかった。

ようするに、スーツケースを置いて、と言いたいのだ。

とにかく、そんなあれやこれやをもって、ようやく浴室へ向かう。


男子脱衣所は、東西に横長であった。浴室も東西に分かれていて、僕はまず西へ、同行人は東へ入浴した。

西の浴室は静かであった。僕を含めて、入浴客は4人くらいしかいなかった。
なんでだろうと見回すと、立派な龍を背中にたたえたおっさんが、身体を洗っていた。なるほど。

 


みかん石鹸は、泡立ちが良かった。それに、みかんのいい匂いがした。
でも、さすがにこれで頭を洗うべきではなかった。カシカシになってしまって、2日経った今も、少し髪の毛の調子が悪い。


龍がいたけど、気にせず歌っていた。聞こえないボリュームで。逆鱗に触れぬように。

 

東も西も、浴場の様子はそう変わらない。壁に描かれたタイル絵の柄と、
「坊ちゃん泳ぐべからず」
という木札の位置が違うくらいだ。

 

あと客層と。
龍に追いやられた猿たちが、朗らかに入浴していたのである。

泉質は宿と同じだったが、脱衣所が寒すぎて、すぐ冷めてしまうのが玉に瑕だ。

 

 

 

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先述の通り、撮影が禁止されている館内であるが、
「お茶とお菓子くらいならいいですよ」
と言われたので、お言葉に甘えた一枚。お風呂を上がると、絶妙なタイミングで運んできてくれるのだ。


同行人は、全然戻ってこなかった。浴室で一度会ったのに、あんまりにも遅い。
結局、1時間近く待つことになった。すっかり湯冷めして、神田川の気分を味わう。

 

待ってる間、ぼーっとしていたら、お茶のおかわりを勧めてくれた。長時間居座っているというのに。
あんまり申し訳ないので、いよかんサイダーと坊っちゃん団子を買って食べた。

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太鼓に背中を押されるようにして、本館を出た。
雲間から青空が見える、いい天気だった。

 

 

3月8日と9日に、道後温泉へ行った話③

ロープウェイを降りると、小雨ももう止んでいて、本当に変な天気だと独りごちた。

 

同行人は、隣でずっと凹んでいる。せっかく持ってた割引券の存在を、帰り道でようやく思い出したからである。
松山城の入城と、ロープウェイ往復が、各2割引になったはずらしい。

そんなんええがなと僕は笑うけど、同行人はすっかり凹んでしまっていて、いつもの元気が見る影もなかった。


どうしたものかと思ったその時、出口の近くに、一番可愛かった券売機マドンナの姿を認めた。
同行人は途端に元気になった。

思い余って、記念写真まで撮ってもらっていた。
はにかみながら笑うマドンナは、本当に可愛い。横ではにかむ同行人は、すっかり元気になっていて、それもまた微笑ましい。

 

外へ出ると、雨はひとまず止んでいて、折りたたみ傘が邪魔になった。さっきまで重用していたけど、今はもう邪魔者扱い。人間とは、かくも勝手な生き物なのだ。

 

大街道方面へ、緩やかに下る。
途中、行きしなから気になっていた、たまごバター餅とやらを買って食べた。一つ100円、美味しかったけど、現代力が低いので、写真は撮り忘れてしまった。

棚の上に乗せるかなんかして、
「棚からバター餅」
と言いたかったのだけど。


大街道電停へ着くまでの5分の間に、雨はまたサラサラと降ってきた。
折りたたみ傘、邪険にしてごめんよ。大いに活躍してください。


三越に再び立ち寄って、荷物を取り出し、電停へ。
路面電車は、さほど待つことなくやってきた。一路、道後温泉へ向かうのである。

道後温泉へ行くものと、行かないものがあると聞いていたのだが、割とすんなり乗り継ぐことができた。本当に、観光客に嬉しい街だ。

 

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道後温泉駅に着いた途端、街の雰囲気が大きく変わった。
「明治が息づく」なんて、陳腐な表現は使いたくないが、要するに、そういうことだ。

道後温泉本館を中心に、コンパクトなまちづくりが行われているな、と思った。今日の役目を終えた坊っちゃん列車が、黙って逆光の向こうにいた。

 

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時計はちょうど、17時をさすかささないか、といったところ。
いや、さしてはいないのだ。からくり時計は、まだ動いていなかったから。

 

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道後温泉のからくり時計は、1時間ごとに動き出して、観光客を楽しませるのである。

動き出すのを楽しみにして、観光客がドヤドヤと集まってくる。

 

とはいえ、今日は水曜日。
そんなに大した人手でもない。賑やかなれど、騒がしからず。ちょうどいい塩梅だった。

からくり時計は、可愛く可愛く、カラカラ動いていた。
彼が動きを終えると、途端に観衆は散らばり去っていった。

僕と同行人は、時計のすぐ横の足湯で、少し休息をとった。お湯は、少しぬるすぎた。

 

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そこから宿まで、徒歩10分弱。
いくつかの条件(和室であるとか、朝ごはんがつくとか、あと何より値段とか)で絞り込んだ結果、選ばれたお宿だ。

 

 

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道後やすらぎ荘。
元々、トラック協会の保養荘的な扱いだったそうで、30余年目の今年3月、惜しまれながらも閉館するらしい。
粗品として、タオルをいただいた。初めてきたのに、そしてもう二度と来れないのに。なんだか少し寂しかった。


確かに、お客さんは少なかった。僕たちの他に、あと2組くらいしかいなかったんじゃなかろうか。
向かいの椿館は、道後温泉でも一、二を争うような大ホテルで、なんなら少し格差すら感じる。

僕たちはそれでも、こちらの方が高台にあるんだぞ!と、お互いを鼓舞した。
(それだけ、アクセスが不便だということだ。)

その分、館内は静かで、落ち着いた雰囲気ではあったけれど。エレベーターのサニクリーンが、独特のにおいを放っていた。


そういえば、内装をすっかり撮影し忘れていた。
「修学旅行みたいなお宿」
といえば、だいたいご想像いただけるかと思う。

ただ修学旅行にしては、少し大浴場が小さかったかな。15人も入れば、いっぱいになってしまうサイズ。

これだけ少ない宿泊客と、なぜか同じ時間にぶつかってしまって、貸切にならなかったのが残念である。


宿に荷物を置いて、ちょっと体を休ませてから、道後温泉本館に向かった。
宿の雪駄を借りた。鼻緒が革で、少し食い込み痛かった。

浴衣で出かけたかったけれど、あんまり寒いので、諦めた。

 

 

 

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なんてことだ!
道後温泉本館は満席だった。団体客がいるので、休憩の広間が一時間は空かないのだという。

道後温泉本館の入浴システムは4つ。
値段に応じて、利用できる風呂の数や、休憩室の質などが異なる。
がんばれゴエモンみたいで面白かったのだが、僕たちが目当てにしていた、下から2番目のグレードが、ちょうど満席になってしまっていた。

お風呂に入るだけならご利用いただけます、ということであったが、それも味気なくて、やめた。
お土産を先にチェックしたり、ご飯を食べたりしてから、再度訪れれば良い。

 

 

 

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道後温泉本館の斜向かい、おいでん家の鯛めしは、美味しいと聞いていた。昼間鯛めしを食べなかったのは、それゆえである。
僕は宇和島鯛めしを、同行人は炙り鯛めしを注文した。

仲良く半分こするあたり、僕はいい相棒に恵まれたなぁと、しみじみ。ありが鯛。

 

 

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「お腹いっぱいで風呂入ると、体に悪いよなぁ」と笑いながら、改めて、道後温泉本館に向かう。

なんてこった!まだ満席になってやがる!
空いたふちから入浴者がやってくるので、こうなってしまうのだという。

 

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結局、この日は諦めて、本館ほど近くの、椿の湯に向かうことにした。(写真は、二日目撮影)

 

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こちらの方が安い上に、湯自体は本館と同じであるから、もういいじゃん、といったところ。
道後温泉本館は、明日訪れることにしましょう、そうしましょう。


椿の湯の脱衣所ロッカーは、一回10円。
大変安価なのだけど、この時あいにく、10円玉を持っていなかった。
困りつつ番台へ向かう途中、両替機の存在に気づく。
なるほど、同じような人が、たくさんいるのである。


シャリンシャリンと両替される音を聞いていると、小さな女の子が100円玉を手にして、女湯から出てきたのが見えた。

「10円玉にかえてくーださい!」
と、番台に100円を差し出す女の子。
おつかいにきていたのだ。

はいよはいよと、10円十枚を手渡した、番台のおばちゃん。
「両替機が向こうにあるよ」
なんて、無粋なことは言わない。まだ風呂に入ってないのに、ほっこりした。

 

この日の夜、ちょうどマツコと有吉が、そんな話をテレビでしていたが、道後温泉の脱衣所内、もちろん浴室内は、撮影禁止である。あたりまえ。


椿の湯は、割と広かった。
道後温泉の泉質なのか、はじめ熱く、すぐぬるくなり、そしてまたすぐ熱くなる。
熱が自分の中に入り込んでくるのが、わかるような、お湯。いやはや、気持ちいいのなんの。


都々逸とか音頭とか、端唄とか小唄とかを、小さな声で歌っていた。他のお客さんに聞こえないボリュームで。
幕末太陽傳みたいな心持ちで、善哉善哉だった。


風呂上り、もう一度、土産物通りに戻る。正式名称があるはずなのだが、失念してしまった。いま調べます。

 

わかりました、道後ハイカラ通り、 です。

 

風呂上り、もう一度、道後ハイカラ通りに戻る。これが正式名称だ。

道後サイダーと、道後ゆずサイダーと、アイスもなかと、オレンジエールを買って、飲んで、食べた。

 

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オレンジエールは、宿で飲んだ。思ったより、ビールビールしたビールだった。


土産物を再チェックして、明日に備える。これで時短になる程、僕は意志が強くないデブだ。

 

宿に帰る途中、他のお宿の足湯に浸かった。無料だった。駅前の足湯よりも、だいぶ熱めで、気持ちよかった。頭寒足熱とは、よく言ったものだ。
ほとんど湯冷めせずに、帰ることができた。


宿に帰ってから、花札に興じた。お金は賭けてない。本当に。本当だ。信じてくれ。頼む。

コテンパンにやられた。
いやー、よかったー、お金賭けてなくて!!

いや、本当に賭けてないんですけどね。


なお、記述が後先になってしまったが、宿のお風呂に入ったのはこの前後だ。
テレビでマツコと有吉が話をしていたのもこの時間。青山アナウンサーって、もっと可愛くなかったっけ?

 

チャンネルを変えたら、キムハンソルのニュースをやっていた。
他人事として考えれば、いまの世界の流れは、本当に面白い。未来の歴史家は、たぶん、楽しんでこの時代を眺めることができるだろうに。


時計を見ると、0時を少し回ったくらいであった。

道後温泉本館では、6時、正午、18時と、1日三回、時太鼓が鳴らされる。
せっかくなので、朝イチの太鼓が聞きたいなあという話になり、花札を片付けて、就寝した。


酒はオレンジエールしか飲んでいないのに、なぜだかすっと、眠ることができた。それだけ疲れていたということだろう。


夢の中で、二日目を先取りしていた気がする。

3月8日と9日に、道後温泉へ行った話②

 

12時25分、松山市駅に到着した。予定より、10分遅れての到着だった。

 

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路面電車に乗って、大街道電停まで。徒歩15分の距離だから、普段なら歩くところなのだけど、そうするには少し寒かった。
雪が降ったり、雨が降ったり、止んだり、降ったり。変わった天気だった。

迷うことなく、路面電車に乗った。だって、卒業旅行だし。贅沢しようよ。

 

 

 

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すし丸本店は、大街道駅から、歩いて5分のところにある。
ここの松山鮓(もぶりめし)を正岡子規が愛し、夏目漱石にご馳走したのだという、ゆかりある店だ。

品のある、いいお店だった。湯のみがでかいな、と思った。緑茶は江戸前だった。食べなかったけど、にぎり寿司もそうなのだろうか。

 

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味について、ここで言葉をいくつ並べたところで、あなたと僕が気持ちを共有することはできないだろうけれど、
美味しかったよ、とだけ。
1100円くらいのランチではあるけれど、いいでしょう、旅行なんだし。散財しようよ。

 

 

 


松山には、おいしい鯛めしの店がいくつかあるけれど、その手のお店の多くが、道後温泉に支店を持っていたりする。
かく言うすし丸だって、道後温泉にも支店があるから、万が一満席で食べられなかったとしても、困りはしない。観光客に優しい街。


昼を食べてから、電停に戻る。
大街道電停の正面に、松山三越百貨店があった。
三越には、あまり馴染みがない。関西ならどこにあるのかしら。

 

三越のロッカーに、スーツケースを預けた。あと、リュックサックの中の重たいものも。髭剃りとか。
コインロッカーは、全サイズ100円というありがたい値段。
つくづく観光客に優しい。大阪も見習え、なんやねん500円って。


身軽になって、松山城へ向かう。
小雨がぱらつき出したので、折りたたみ傘を広げた。
傘を持たない人が、たくさん濡れている。こういうところから、太田道灌という話は生まれるのだろう。


ロープウェイ乗り場の女性従業員の制服が、マドンナのそれだった。坊ちゃんの方。

券売機の横にいた、新人らしい女の子が一番可愛かった。初々しくて。いつまでもそうあってくれ。


松山城は山城だ。山の天気は変わりやすい。
乗り場に到着した時点で、小雨は大雨になり、吹雪になっていた。

リフトで登ろうと思っていたのだけど、雨天運休で、仕方なくロープウェイに乗り込む。
いずれにしても、登山より楽なのは同じことだ。

 

ロープウェイにもマドンナが乗っていたが、こちらは少し年のいったマドンナだった。ナマンドって感じ。

マドンナの観光案内を、ほとんど誰も聞いていなかった。関西から来た風の女子グループが、姦しくしていた。こういう人たちと旅はしたくない。


山頂についたら、吹雪は小雨に戻っていた。
ロープウェイの降り場には、貸し傘が15本ほど用意してあって、余計に太田道灌の世界である。みんなちゃんと返してたけど。

 

雨は降ったり、止んだりしていた。

ボチボチと10分ほど登れば、松山城天守閣にたどり着く。入城券は、ロープウェイ往復とセットになっている。

 

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入城直前に、止んでいた雨がまた降って来て、走って城内へ入った。
城で雨宿りする民衆。世が世なら、首が飛ぶところであろうに。


松山城は三層構造で、高さ自体はそんなにないのだが、山の上に立っていることもあって、体感高度はなかなかのものだった。元々、五層構造だったらしいが、何代目かの城主の時に、改築して三層にしたんだとか。なんで?


バリアフリー化が難しい(重文なので)らしく、ご老人にはあまり優しくないが、木造の現存天守であり、雰囲気が全然違う。大阪城にしか行ったことない人が見たら、カルチャーショックでお堀を埋めてしまうかもしれない。


同行人は、傾斜のきつい階段の上り下りを恐れていた。
姫路城のトラウマがある、と語っていた。なんのことやら。


暇なのか、城内管理人のおじさんが、やたらと大きな声で色々と教えてくれた。わかりやすかったけど、それ全部、そこの説明文に書いてあるよおっちゃん。

 

面白い展示物がたくさんあったけれど、江戸時代の落書き(侍の顔)が、一番よかった。磯兵衛みたいな画風だった。


城を出て、ロープウェイ下山乗り場(さっきまで降り場と呼んでいたところだ。役割が変われば、名前も変わる)へ戻る。
東雲神社という神社に行きたかったのだが、天候と、神主の評判がイマイチで、やめた。

 

 

 

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雨と寒さに冷えてきたので、下山乗り場の正面にある土産物屋に入る。
飴湯を飲んだ。同行人は、かき混ぜもせずにチビチビ飲んで、終盤、底に沈んだドロドロの葛と格闘していた。


僕はいよかんソフトを食べた。
美味しかったけど、いよかんがほのかに香る程度で、これなら普通のソフトクリームでよかったな、と思った。
(とはいえ、伊予でいよかんソフトを食べるということに、値打ちがあるのである。)


リフトの運休は解除されていた。
けれど、寒いし雨だし、帰りも大人しく、ロープウェイに乗った。マドンナは、違うドマンナになっていた。

ロープウェイに乗って、世間を見下ろしながら下山する。

 

リフトに乗って登ってくる観光客たちが、なぜかこちらに、笑顔で手を振ってくる。旅先にいると、人間は手を振りたくなるのかもしれない。

 

横の子どもたちがその役を担ってくれたので、僕は振り返さなかった。

寒緋桜が美しかった。目の前で、春と雪が、見事に咲きほこっていた。

 

3月8日と9日に、道後温泉に行った話①

 

僕は学生旅行と無縁だ。
2回生の5月に落研を辞めて以来、家族旅行、あるいは個人旅行以外で旅行をしたことなど、ほとんどない。

 

長期休暇が訪れる度に、全国300万の大学生諸君たちは、やれ部活の同期だの、やれゼミの仲間だのと、慌ただしく旅行へ出かけて行く。

「行きたないわー、金ないわー」
と言いながらも、奴らは旅先を満喫するのである。

 

鳥取砂丘では、お調子者キャラの短髪2回生が、砂まみれになって笑いを取る。なにが面白いのだろう。
ラクダになりきりふたこぶになって、先輩を乗せるとか、せめてそこまで行ってくれれば良いが、それを良しとする団体の空気と、自分はなにもしてないのにご満悦な先輩は嫌いだ。

 

琵琶湖ではとりあえず、先輩に水を飲まされる。マズっ!と一声叫んで、ワッと座が湧くが、なぜか飲ませた方よりも、飲んだ方がドン引きされるのが世の中。最悪だ。


最悪だけど、最高だ。
面白くもなんともないし、正直、そんなグループに混ざって旅行したって、絶対楽しくない(むしろ、イライラして帰ることになる)と思うんだけど、

それでも、毎春、毎夏、毎冬と、いつもひとりで落語を見たり、なにがしかを考えたりしていた僕よりは、ずっと学生らしい学生生活を送っているのだと思う。

 

学生落語会を主催していた頃は、それでもよかった。
主催寄席こそが、各休み期間のメインイベントであって、全ての予定が、その日程に向けて組まれていたから。
3回生の3月に、その主催寄席も終わった。

 

以降、「卒業旅行」という言葉を聞く度に、僕は一人孤独感に苛まれることになり、ついには両親や兄妹から
「卒業旅行とか行かないの?」
と聞かれて、あまりの惨めさに
「行くかもしれんけど、みんなそれぞれ予定あるからなぁ」
などと、お茶を濁すようになった。

みんなというのは、「友達みんな」という意味である。わかるだろうが、僕にそんな仲間はいない。


そんなわけだから、僕はこのまま卒業式まで、一人寂しくアルバイトに励む予定だった。

まさかこうして、道後温泉へ卒業旅行に来るなどとは、夢にも思わなかったのである。


きっかけや経緯については、その人に迷惑がかかってしまうから、ここでは言えない。
簡単に、本当に簡単に言えば、誘われたのである。行こー、って。

嬉しかった。たぶん、学生生活で一番くらい嬉しかった。
と思ったけど、さすがにこれは盛りすぎ、というかもはや嘘だ。

順位はわからないけれど、とにかく僕は嬉しかったということだけ、稀有なあなたにご理解願いたい。


道後温泉の思い出を、ひとつひとつ連ねることには、そんなに意味がない。名所紹介が見たいなら、このブログじゃなくて、るるぶなりじゃらんなり見た方が良い。

 

 

 

ここまで記事を書いてから、僕はすっかり眠ってしまっていた。
いま、吉野川SAを通過したところ、帰り道のバスに揺られているのである。四国は広い。

 


寝ている間に気が変わったので、僕は僕の・・・いや、僕たちの卒業旅行についての思い出を、書くことにする。

僕たちの卒業旅行!!!
いい響きだなあ!!!!

 

初日、8時20分に神戸三宮を出た。
僕も同行人も、神姫バスに乗るのは初めてだったので、JR三宮東改札で待ち合わせをすることにした。
けれど、予定というのは大体、その通りにいかないのが旅行だ。

 

僕は張り切って、朝ごはんを食べてしまったのである。
中学生の頃に気がついたのだが、僕はあんまり、胃腸が強くない。特に、朝早くにしっかりご飯を食べようものなら、しばらくしてから相当な腹痛に悩まされることになる。

 

高校進学によって起床時間が変わり(30分ゆっくりになった)、すっかりなりを潜めていたこの腹痛に、僕はいきなり悩まされることとなった。

 

一足先に、神姫バスターミナルに乗り込んで、用をすませる。便座に座りいきみながらLINEを打って、待ち合わせ場所を、改札からバスターミナルに変更してもらった。

これがいけなかった。


同行人は、神戸の街に不案内であった。彼は誤って、JRバスターミナルを目指してしまったのである。
用を済ませ、慌てて再度、東改札に向かう。

 

なんとか合流できた時には、8時10分を少し回っていた。バスは、8時15分の発車である。
まさか、この旅1番の猛ダッシュを、初っ端のハナに記録することになるとは、思わなかった。

 

8時14分に、乗車完了。やれやれ。
でも、バスは5分遅れて出発した。

平日ということもあり、車内は空席が目立つ。
空いてる席を使ってもいいということだったので、リュックや上着を置かせてもらった。いい運転手だった。

 


快晴ではなかったけれど、時折晴れ間も見える曇り空で、バスに乗っていても気持ちが良い。
明石海峡大橋を渡ったのは、小学4年の宿泊訓練以来だ。

 


淡路島の景色は美しかった。神が最初に作った島。
もののけ姫を見て以来、そんな風景のすべてが、ジブリの世界に見えてくる。

淡路島を通り抜け、しまなみ海道をいく。鳴門の渦潮が、美しくぐるぐっていた。またジブリだ。


四国に足を踏み入れたのは、初めてだった。
淡路島とは、また一味違った景色。三月だと言うのに、徳島の山々には雪が積もっていた。またまたジブリだよ。こんなんの連続。

 

そこへ住む人からしたら、洒落にならないことなのだろうけど、そこに済まない僕からすれば、三月の残雪は見目美しいの一言で、旅が連れて来てくれる非日常に、早くも心躍っていた。

 

本当は、淡路島くらいからずっと躍っていたのだ。心は。
その踊りが、『Sugar!!』から、『リンダリンダ』に変わったような形。おわかりにならない?僕も。

 


僕たちは、道後温泉本館に行く以外、何も予定を決めていなかった。
隣で熟睡する同行人を横目に、母親に借りたガイドブックを眺める。彼女はいま、八十八ケ所巡りの最中なので、四国に詳しいのである。

 

美味しいお店とか、いくべき名所とか、駅から宿への行き方とか、坊っちゃん電車の時刻表とか、
そんな諸々を、ある程度調べておく。
やっぱり僕には、無構成が向かないらしい。
旅のプロットをたて終わり、30分ほど寝た頃には、行きの吉野川SAだった。用を足して、車内に戻り、また眠る。

眠りはもっとも簡単なワープの方法だな、と思う。

 

 

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ここまで書いた時、iPhoneの充電が1%になってしまった。

仕方がない。iPhoneを充電器に挿して、目を閉じる。続きはまた書くことにすれば良いのだ。

終わった旅の記録をつけるのに、遅いも早いもない。

 

ただそれによって、件の大作の完成は、さらに遅れることになる。ご容赦と、ご期待を乞い願いたい。

3月9日に、ブログの書き方を考える話

 

僕は文章を書くのが好きだ。
特に、始まりがあって、終わりがある文章を書くのが好きだ。

なにをするにしても、論理的な構成を心がけたいと考えてしまうから、自然、文章が長く長くなっていく。


ブログを始めた当初、あえてそういう書き方をしないでおいた。ブツ切れに、細切れに、その時その時に起こった出来事を、淡々と書くようにしていたのだ。

 

それは、ーこの際だからふわっと言ってしまうがー、このブログが、ある人のそんなブログを見たのをきっかけに、始まったものだからである。
さすがに、誰というのは恥ずかしいから言わない。


僕はそういう書き方をしてこなかった。
そういうというのは、今言ったような、そういう書き方だ。
事実を淡々と、細切れに書いていく文章。言ってしまえば、世の中の日記なんてものは、本来そうあるべきものだよなぁ。


初めて日記を書いたのは、小学2年生の時だった。4つ上の兄が始めるというから、僕も始めたのだ。
当時の日記はもう捨ててしまったし、字が汚すぎて、いま試みたって読めなかったろうと思う。

 

少なくとも、20日は書いた。
そのどれもこれもが、読者を意識した書き方をした内容だったと、いま急に思い出す。
初日の日記は自己紹介から始まっていたし、家族の紹介、クリスマスプレゼントの紹介なんかも、そこに加わっていた。

 

日記なんて大体、誰かに読んでもらうために書くものではない。
けれど僕は、文章を連ねる時、誰かに読んでもらうことを意識してしか、もはや書けなくなっているのです。


Twitterにしろ、このブログにしろ、
ある程度まとまった内容の何かを書く場合、読者を想定しないことがない。

 

それがいいことか悪いことは、それぞれの判断に任せる(この言い方が、すでにそうだ)として。

でも、少なくとも僕自身は、このブログにおいてそれをやりたくなかったんだよなあ・・・。

 

たぶん、もののけ姫考察を書き始めたくらいから、その初心を忘れてしまっています。
考察が完成したら、ちょっと元に戻そう。読者意識して日記が書けるか!


と、読者を意識して叫ぶ僕。高速バスは三宮へ向かっている。