パピコ。

夏は夏らしく、夏じみたことをしないといけないのよって、涼宮ハルヒも言っていたことだし、

何か僕もそれらしいことをしよう

 

って、ただそれだけの動機で、パピコを買った。ファミマで買った。定番のやつを買った。

 

 

120円だった。金欠社会人の僕からしたら、そんなに安くはない額である。

ちょっと歩けばイオンがあるし、もっと歩けば100円ローソンもある街だ。

 

 

それでも僕は臆することなく、パピコを買った。ファミマで買った。ミルクコーヒーのやつを買った。

 

 

それはまったく、今日が25日だったことに起因する。どんなに薄給で安月給で金欠でヒーヒー言っていたとしても、給料日は労働者に等しくやってくる。(額は等しくない)

 

 

セミが鳴いてない以外、丸っ切り夏の昼下がり。

僕は母校の名前が書かれた、青のTシャツを着ていた。

 

青のTシャツに、リュックサック、ユニクロのヨレヨレGパンに、アディダスのスニーカー。

果たして誰が僕を見て、社会人だと思うだろうか。どこからどう見たって、夏休みの大学生である。

 

 

あの頃に戻りたいと、ちょっとだけ思いながら、パピコを食べた。二つに割って食べた。フタの中の余剰分から食べた。シャリシャリとしていた。

 

 

言うまでもなくパピコは、2本でひとつのシャリシャリアイスである。僕の口は上下合わせても1つしかないので、2本一気に食べることはできない。

 

パピコをくわえてチューチューしながら、自転車を漕いで、鴨川沿いを走った。昼間だから、ワーワー騒いでいる学生もどきたちがいた。

 

 

1本食べ終わった頃、ちょうど目的地について、もう1本に手をかける。

 

 

 

パピコはすっかり、溶けてしまっていた。

開けた途端、ビュッと飛び出て、フタの中の余剰分なんて、最初からなかったみたいだった。

 

 

あの頃・・・僕や僕らや、君やあなたが、まだ人生の第1章にいたあの頃。

パピコは、こんな溶け方をしていただろうか。

隣にいた誰かと、パピコを一本ずつ分け合っていたあの頃。

 

 

2本目のパピコは、ずいぶん溶けてしまっていたけれど、でもやっぱり甘くて、シャリシャリとしていた。テレビのニュースが、水不足の可能性を伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

今年の夏は、暑いらしい。

5月7日の深夜に、村上春樹を思う話

仮に変更線をまたいでいたとて、眠って朝を迎えるその時まで、僕にとって今日は今日である。

 

 

 

 

と、なんとも面倒くさい書き出し。

村上春樹を読んだ後は毎回こうなるし、たぶん多くの人にとってそれは、一種のあるあるネタのように、簡単に共感でき得る読後反応なのだと思う。

 

 

 

僕がちょうど中学生の頃、だったと思う。

1Q84が発売されて、世間には5年ぶりの村上春樹ブームが訪れていた。

 

 

同級生の読書好きな面々は、競い合うように村上春樹を読んで、その感想を語り合っていた。

(ように見えた。僕はその面々の一員じゃなかったから、実際彼らがどんな会話をしていたのかは、あんまり知らない。)

 

 

 

特によく読まれていたのは、

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

だったろう。

 

ただこれは、村上春樹を読みたい人たちによってではなく、

長門有希と同じ本を読みたい人たちによって」

だったけれども。

 

 

 

 

でも当時、僕は頑なに、村上春樹を読むことを拒否していた。

 

だいたい、最も尊敬する作家を問われれば、迷わず「星新一」と答える僕である。長編小説を読みたいはずもない。

 

その上、天邪鬼な性格なので、皆がこぞって読むのなら、俺は決して読まないぞ!

と、変なこだわりを持ってこだわりを以って、僕は村上春樹を通らずに生きてきた、のである。

 

 

(というか、別に村上春樹を通らなくたって、生きていけるのだ。

 

 

実際、村上春樹を読んだことない人なんて、世間に山ほどいることだろうし、

村上龍を読んだことない人も、乙一恩田陸佐藤多佳子いしいしんじや、を読んだことない人も、たぶん腐るほど居るはずなのである。

 

 

ただ、星新一を読んだことない人がいるとしたら、それは本当に人生の損なので、悔い改めてほしい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確か、中学2年生の時。

当時の担任が僕に、

村上春樹神の子どもたちはみな踊る』(新潮社  2000)

をくれた。クイズ大会の景品かなんか、だったような気がする。

先生は、読書科という教科の担当だった。

 

 

僕は新潮文庫が好きだ。星新一の作品が、たくさん出版されているからだ。

短編集だし、新潮文庫の作品なら間違い無いだろう・・・と、首を縦にうんうん振りながらって読んで、首を横にうん?と傾げて読み終えた。

 

 

中学2年生の僕には、世間の言う、村上春樹を深みがよくわからなかった。

いやさ、良さはわかった。読後感が良かったのだ。

 

 

『蜂蜜パイ』を読み終えた時には確かな達成感があったし、

彼の書く世界が世間に評価されている理由も、なんとなくはわかった。

けど、星新一の方が好きだった。これは今でもそうだ。

 

 

 

 

そもそも僕は、

村上春樹を読む」

と言う行為に、反感を覚えていたのである。

 

 

 

「中学生にして、村上春樹を読んでいる自分」

みたいな空気をまとったやつが、僕の周りにはたくさんいた。

 

たぶんあの頃、日本のいたるところにそういう中学生がいて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村上春樹を読むということは、特に僕にとってプラスというわけでは無いのだが、それでも0は1になり、1をこそ僕は0と呼ぶのだ。それは夜の海が、昼の白を嘘のように飲み込んで、黒を僕たちに見せつけるようなものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とかなんとか!しゃらくせえことを言ってたに違いないのだ。

頭の悪い村上春樹(村上夏樹)みたいなことを、やれやれやれやれ言いながら、呟いていたのに違いないのだ。

 

 

 

僕はそういう、

村上春樹を読むという行為に満足している中学生」

が、大嫌いだったのだ。

 

 

 

(それはつまり、大学一回生が、

「僕、酒強いんすよ〜。いやぁ、やっぱハイネケン美味しいですわ〜」

とかほざいてるのを見て、イラっとするのと似ている。お前らはオールフリー飲んどけ)

 

 

 

 

村上春樹には、対象年齢設けた方がいいと思う。

今ようやく、村上春樹がちょっとわかるようになって、思う。

 

 

 

人間には何事につけレディネスというものがあって、物事には時宜というものがある。

人の成長具合はそれぞれとはいえ、やっぱり村上春樹は、中学生が味わうようなもんではなかろう。

 

 

 

 

同時に、大人になればわかる、というものでもないだろう。

わかんないよ!村上春樹

 

 

 

だから言うなれば、

「世の中のわかんないことを、受容しなければならない時期」

にこそ、村上春樹は読むべきなのかもしれない。

 

そういう意味では、もののけ姫もそうだよな。

 

 

 

 

 

 

と、こんなことが大体言いたかったらしい。どうやら、僕は。

 

 

 

 

この日記、タイトル見ればわかるように、5月7日の深夜に、酒の勢いで書き始めた。

けども、書き終えないまま寝てしまって、いま、マクドナルドで、最後まで書き終えた。

 

 

あの時の僕が何を言いたかったのか、どんな熱量を持って村上春樹について書こうとしたのか、よくわからない。

 

 

 

 

仕方ない。

わからないことは、受容しなければならない。

 

 

 

 

やれやれ。

 

3月29日に、だいたいが日記なのであるという話

だいたいが、日記なのである。

 

前回の記事を見返して、そのあまりの堕落ぶりに愕然としている深夜1時。

堕落というか、退化というか・・・ようするに、中学生の頃の僕が書いていたような、心底つまらない記事になってしまっているのである。あな情けなや。

 

つまらないにも色々種類があるが、悪い方のつまらないを、前回の僕はやってしまっているな、と思う。

 

すなわち、さも面白いものを書いているかのように、つまらないものを提示してしまっている、ということだ。

 

球磨川さんが出てきたところなんか、つまらなさすぎて目を疑ってしまった。

 

とはいえ、今の僕であれば面白いことをかけるのかと言われると、別にそういうわけでもない。

というかそもそも、面白いものを必ず書かなければならないような、そんな場所ではなかったはずなのだ。

 

元はと言えばぱっと思いついたことを、ぱっと記したり、垂れ流したり。その程度でよかったはずなのだ。

 

もっとワッといえば本当は、僕の過ごした1日について羅列するだけで、よかったはずなのだ。

そういうブログを見て、俺もやりたいなぁと思ったのがきっかけだったじゃないか!

 

 

もっと気楽にやろうと思う。

だいたいが、日記なのである。

 

できれば記事タイトルだって変えてしまいたい。

だいたいが、日記なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年の流行色はオレンジ色です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橙が、人気なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うちの家系は、暗い人間ばっかりで・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代々が、陰気なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたし、あいつに、さよなら言えてない・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイバイが、言えてないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・後遺症は、癒えてないのである。

元のブログに戻る日は何処。

再会は、未定なのである・・・。

2月24日に、羨ましくて自分も書いた話

誰かにブログの更新をせがまれるなんて、羨ましいことこの上ない。そういう経験を、僕もしてみたいものである。

妬ましいから、僕も久しぶりにブログを更新しよう・・・と、思い立った次第。

 

 

 

と、ここまで書いて、

「そういえば俺も前に、ブログ更新してくれって言われたな」

と、思い出す。

奈良の浪人生は元気にしているだろうか。

まだ彼は奈良の浪人生なのだろうか。

こんなブログ読んでる暇があるなら、その時間を勉強に使っておくれ。

 

 

 

 

 

毎度毎度書いてることなので、そろそろ書き飽きたし聞き飽きたろうが、仕事柄、日常について、あまり記すことができず、自然、更新が滞ってしまう。

 

 

 

 

 

トド凍る。カチーン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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球磨川くんのおかげで、死なずに済みました。僕は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、日常を記すことができないから、更新は自然と停滞してしまう。

(※滞る、という単語の使用を避けることで、二の舞にならないようにした、僕の判断力を褒めたい。hold me tight.)

 

 

 

 

当たり障りのないことを書くだけで、いかに記事としての価値を維持するかという、牙を抜かれた新聞記者みたいな書き方をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

オリンピックを観ながら書いていたのですが、ここまで書いた時点で、日本がメダルを二個取りました。

高木菜那かわいい。藤沢五月かわいい。結婚してくれ。

 

 

 

 

 

 

せっかくだから、オリンピックの話でもして、お茶を濁そう。

 

 

 

 

 

 

高木菜那カーリング女子のおかげで、なんとか今大会、

「メダル獲得の瞬間」

を、リアルタイムで見ることができた。

 

 

特にマススタートの高木菜那(かわいい)のおかげで、金メダル獲得の瞬間が観られたのは、結構嬉しい。

 

 

 

今大会1つ目の金メダルが、日本にもたらされた時。

つまり、羽生結弦(同い年)のフィギュアスケートFPが行われていた時間帯、僕はお仕事中だった。社会人だからね。

 

 

同い年の羽生君が、氷上でくるくる回ってる間、

僕は社会の歯車として、ぐるぐる動き回っていたのです。格差。

 

 

 

 

結局僕は、上司の

「おっ、羽生金メダルや!」

という声で、その結果を知ることになった。職場は一瞬、おーっ!ってなったけど、この「おーっ!」は、弱い。

 

 

 

 

LINEニュースや、スポーツナビの速報で、結果を知ることもある、

二つ目の金メダル、小平奈緒(試合着の時の方がかわいい)の時がそうだった。

 

 

小平奈緒が決勝に挑んでいた時間帯、僕はちょうど家にいて、しかも、テレビの前に座っていた。

 

Yahoo!ニュースにはすでに、

小平奈緒、今夜決勝!」

というような記事タイトルが踊っていた。

それを見た僕は、その瞬間を目撃する気満々で、テレビの前に控えていたのである。

 

 

 

これが誤算だった。

タイトルだけじゃなくて、記事そのものを確認するべきだったのだ。

 

 

 

そう僕は、試合時間を、大きく勘違いしていたのである。

 

 

リオデジャネイロ五輪とか、南アフリカW杯の時の感覚で、なぜか僕は、

「試合は深夜0時くらいにやるもの」

と、思い込んでしまっていたのだ。

 

 

 

考えてみれば、今回のオリンピックは韓国開催なのだから、そんなに時差があるわけでもない。深夜に試合を行うメリットなど、なにもなかったはずなのだ。

序盤で行われたスキージャンプ等の印象もあり、てっきり深夜に行うものとばかり僕は思いこんでいて、時間を確認しようとすらしなかった。

思い込みとは、かくも恐ろしいものであり、人間にとっt

 

 

 

 

そんな理屈はどうでもいい。

 

 

とにかく僕は、試合時間を勘違いしてしまったがために、小平奈緒の金メダルを見逃した。

 

 

しかもその際、僕はテレビの前で何をしていたかというと、

 

 

 

 

 

 

タンスにたまったお金の確認

 

 

である。

銀行に預けていないタンス預金がだいぶたまったので、額を確認しようと、封筒からお札を取り出して、一枚一枚数えていたのである。

 

 

金を見ていたせいで、金を見逃すとは。

 

 

 

守銭奴みたいな見逃し方をしてしまった。確定申告め・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

3つ目の金メダル。女子団体パシュートが行われていた時間。

だいたい、21時45分頃。

僕は職場の仲間たちと、お酒を飲んでいた。

 

 

小さな居酒屋、その隅っこに、大きめの薄型テレビ。

およそ小さな居酒屋に似合わないサイズのそれは、なぜか熱心に、カーリングの試合を放送していた。

 

 

 

 

小平の悲劇から学んだ僕は、この日の試合時間を、事前に調べていたので、

「まもなく女子団体パシュートの決勝が始まる」

ことに、気づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、上司を含めた僕の仕事仲間たちは、誰一人この、重大なる事実に気が付いていなかったのである。

 

 

 

 

 

「チャンネル変えてもいいですか」

 

と、一言いいたかった。

 

 

ああ、言いたかったとも。

 

 

 

でも、言えなかった。相手は上司や、取引の関係者ばっかりだったからだ。

 

 

 

「テレビのチャンネル変えさせてください」

 

 

なんて、言えるような空気じゃなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕がそわそわし始めてから、だいたい10分後。

ピロピロ言う音共に、

「ニュース速報」

というテロップが現れ、カーリング女子(藤沢五月がかわいい)の眉毛にかぶった。

 

 

さすがの上司たちも、テレビ画面に集中し、速報の続きを待つ。

 

 

「女子団体パシュートで、日本が金メダル」

 

 

という結果テロップに、僕らだけでなく、店内にいたたくさんの人が、おーーーっ!!と、歓声をあげた。

自然と拍手も起こり、おめでたいムードに、店内はつつまれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つつまれたけど、弱い。弱いよこれじゃあ。

 

 

 

 

 

 

だって、もしチャンネルがNHKに合わせられていたなら、

こんなニュース速報なんかじゃなくて、現にこの目で、金メダルの瞬間を確認し、みんなで喜びを分かち合うことができたはずじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中途半端な喜びで満足するな。

ゆるふわ4コマか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうようなわけで、僕は今大会、金メダル獲得のシーンというものを、まったくリアルタイムで共有することが、できなかったのである。

いや、金メダルどころじゃない。

銀も銅も、だ。なんてことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま僕は、メダル獲得の瞬間を観られないまま、ピョンチャンとさよならしなきゃいけないのか・・・

 

 

 

と、思っていた矢先の金メダルだった。

 

 

今大会4つ目、おそらく最後の金メダル。

女子マススタートの、高木菜那(結婚してほしい)。

 

 

小平の悲劇から何も学んでいなかった僕は、特に試合時間を調べることもなく、何の気なしにテレビをつけた。

 

 

 

ちょうど、女子マススタートの準決勝が始まるところだった。

 

 

 

 

最後のチャンスが巡ってきたのである。

 

 

 

 

これ幸いとばかりに、残りの時間、テレビをつけっぱなしにして、ブログを書き始めた。

途中、佐藤綾乃(かわいそう)のリタイアに同情したり、81将棋で5級に昇級したりしながら、その時を待った。

 

 

 

 

 

 

かくして、その時は来た。

僕は、高木菜那(妹もかわいい)が金メダルを獲得したこと以上に、

「金メダル獲得の瞬間が観られた」

ことに興奮し、歓喜していた。

 

これを逃せば、あと4年は見られなかったわけだから、感慨深い。

 

 

 

4年後の自分に思いをはせたりしながら、強引に、ここまでブログを書いた。

 

 

たまにはこうして、スケート選手みたいな気持ちを味わうのも、良いかと思っている。

 

 

 

 

 

 

滑ってるもんね、今日。

 

1月25日に、年末の眼鏡の件を思い出して書いた話

この日記を書き始めたのは、果たして何月何日だったろう。
すっかり忘れてしまったけれど、かつて自分がフリックした文字文字と、断片的な記憶とを頼りに、書きつづけてみる。

 

 

 

年末に、伊達眼鏡を買った。
言わずと知れた3COINSショップで、税込分9枚のコインを出して、買った。


硬貨で安価な眼鏡を買った。

 


正確にいうと、眼鏡じゃなくてサングラスらしいのだが、ぱっと見では眼鏡にしか見えないサングラスなので、
もはやこれは僕にとって、ぱっと見では眼鏡にしか見えないサングラスではなく、サングラスと名のついた眼鏡なのである。


購入理由は別に、変装をするためでも、目の前で眼の前で、UVをカットするためでもない。

 


かけてみたかったのだ。眼鏡を。

 

 


幸いにして、視力のいい人生を送ってきた。

暗い部屋でテレビを見たり、
布団の中で漫画を読んだり、
押入れの中にお菓子とゲームを持ち込んで遊んだりするのが、
大好きな子ども時代を過ごしたにも関わらず。
(今も好き。)

 

僕の両目の状態は未だ、少なくとも1.2という数字を出せる程度に、良好である。

 

そんな目よし長慶であるが故に、僕は生まれてこのかた、眼鏡というものをかけて生活したことがない。

 


たまに、友達や兄貴のメガネを借りて、かけて見たことはある。
けれど、目は痛いし、鼻の上に違和感はあるし、踏んだり蹴ったりで、ものの数分で辞めてしまうことが常だった。

 

かといって、もし視力が悪くなってしまった場合、
(聞いた話なのだが、老化、というものがあるらしい)
コンタクトレンズを目の中に入れるほどの度胸は、僕にない。

 

目の中に入れても痛くないほど、コンタクトレンズを可愛く思える気もしない。

 

もしそうなってしまった場合に、僕に残された選択肢は、眼鏡をかける、以外に存在しない。
であるならば、今のうちから度無しの眼鏡をかけておいて、その日に備えておくべきではないか?

 

と、
は、思わなかったけれど。

 

 

そんな大それた理由などなく、ただ単純に、眼鏡をかけた生活というのを、やってみたかったし、やって見たかったのである。

 

 

 

初めて眼鏡をかけて出かけた、年の瀬のある日。


昼夜感覚がぶっ壊れているから、早朝6時みたいな顔をして、11時15分の街を歩いた。


かつての遊郭跡地(未だにお店はたくさん残ってて、ゴーストタウン化してる)を横目に、街を北上する。

眼鏡をかけながら何かを横目に見るのは、生まれて初めての経験だった。

 

寒い朝(というか昼前)、僕は駅に向かっていた。
その日はたまの休みだったので、ちょっとお出かけしたかったのである。

もちろん、眼鏡をかけて、だ。

 

行く先のアテはなかったが、時間的にお腹も空いていたので、
(朝飯の感覚だったが、昼飯の時間だった)
ラーメンでも食べに行こうと、思っていた。

 


駅のホーム。思わぬ災難が僕に降りかかった。


あまりにも寒いので、缶コーヒーを買って飲んでいたのが、突如ときて、目の前が真っ白になってしまったのだ。


テロかと思ったが、そうではない。


おそらく、ほとんどの人がこの事実を知らないと思うのだが、

 

 

 


湯気を当てると、眼鏡は曇る。

 

 

眼鏡知らずの兵庫っ子である僕は、何の前触れもなく訪れた薄白の世界に、有馬の雪を見た。

 


仕方ないので、コーヒーを飲んでいる間、眼鏡を外すことにした。
途端、さっきまで不良極まりなかった視界は開け、
ちょっとだけ黄色がかった世界は、本来の明るさを取り戻した。(やっぱりこれサングラスなんだな、と思った。)

 


コーヒーを飲み終え、ホームのゴミ箱に缶を捨てて、再び眼鏡をかける。
もう二度と同じ轍は踏まない。


さっさと目的地へ行って、ラーメンを食べて、お買い物でもして帰ろう。

 

 


固い決心をしてから、40分後くらいだろうか。
一杯のラーメンを目の前にして、僕の視界は再び、奪われることとなった。

 


おそらく、ほとんどの人がこの事実を知らないと思うのだが、

湯気を当てると、やっぱり眼鏡は曇るのだ。

 


ラーメンを食べる間、眼鏡を外すことにした。
またしても僕と眼鏡は、現実に打ち負けたのである。

 

敗北感に苛まれつつ、お冷の横で横たわる眼鏡を眺めながら、
視力が良くて本当によかったな、と思った。


美味しそうなラーメンを、眼鏡も無しで、眺めることができるんだから。


ありがとう、俺の両目。
目の中に入れても痛くない、俺の両目。ありがとう。

 

 


ラーメンを食べ終え、眼鏡をかけて、街へ出た。やっぱり世界は、少し黄色がかっていた。

 


相変わらず、行く先にアテはなかったけれど、
眼鏡拭きを買って帰ることだけ、僕の中では決まっていた。

 

街中に行くにあたり、風邪を引きたくなかったので、マスクを装着して歩いた。

 

 

 

 


途端、僕の視界は薄白になった。

 

マスクの奥に笑顔讃えて、僕は三度、眼鏡を外すのであった。

11月7日に、こういう大人になっちゃダメだと思った話

酒が飲みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり大きな字で書くくらい、それぐらい僕は、酒が飲みたかったのだ。

 

 

 

 

21時半頃。一仕事終えた僕は、酒席に向かう仲間にバイバイして、帰路についた。

僕だけみんなより家が遠かったから、である。

 

 

 

 

 

 

みんなの背中が見えなくなったので、僕もくるりと踵を返し、駅へと歩き出した。

 

 

・・・と、その途端。なんでかわからんのだが、ガクッと疲れに襲われた。ガクッと、である。

ちょっととか、少しとか、ドッととか、セミコロンじゃ、ないのである。

 

くるりと踵を返しただけなのに。

僕の中から誰か出て行ったのだろうか。

 

 

 

 

 

弱ったなぁ、と思ったのとほぼ同時。

 

 

 

 

気づけば身体は、酒を欲していた。

 

 

 

 

 

疲れが出ているのだから、無事に家まで帰り着くためにも、寝るなりぼーっとするなり、大人しくしておくべきなのは重々承知している。

 

 

 

 

けれども僕は、それでも僕は、酒を欲してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

電車で飲もう…ーーと、決意した。

 

 

 

 

この時間、僕の家方面(正確には、僕の家から徒歩20分くらいの最寄り駅、方面)の特急は大体、ボックス式の座席を、その腹に抱えている。

 

うまいこと調整すれば、二人がけの椅子を、あたかも自分の個室か何かのように使えるタイプのあれだ。

 

 

 

 

「あそこでなら、酒を飲んでも良いだろう・・・」

と、僕の理性がGOを出していた。(業が深い。お郷が知れる。)

 

 

 

もちろん、電車の中のみならず、公共の場で飲酒をする行為は、決して褒められたものではない、と思う。

 

 

 

とはいえ、理性は ーーあくまでも僕の中の理性はーー、

「ボックス席における飲酒はセーフ」

と、結論づけた。

 

 

 

 

 

気づけば僕は成城石井で、ハイネケンと、ほろよいももと、助六弁当(30%オフ)を、購入していた。

 

発泡酒ではなく、ハイネケンなんて贅沢をしているあたりに、僕の気合と欲求の強さがうかがえるし、

値下げされた助六弁当でバランスをとってるあたりに、まだ飲む前の冷静さも垣間見える。

 

 

 

 

 

 

ついでにアズナスで、週刊少年ジャンプ(未だに読んでる)を購入し、意気揚々とプラットホームへ歩みを進めた。

 

我こそは最強だ!!と、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・しかし。ホームへたどり着いた僕の目に飛び込んできたのは、

「次発 快速急行

という、予想外の電光掲示だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなのだ。

あまりこの時間、この路線の電車に乗らないから、僕は知らなかったのだ。

 

 

 

22時を過ぎたこの方面、特急電車はとっくに終わっている、ということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌な予感を抱える僕の前に、快速急行はゆっくりと現れた。

果たして彼は、長椅子だけを積んでいた。奴のヘッドライトが、残念でしたと言ってるように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長椅子だからなんだ!同じ電車じゃないか!」

と、思われる方も、中にはいるかもしれない。

 

 

 

 

だがしかし、残念ながらそれは違うのである。

 

うまくいけば半個室になりうるようなボックスシートと、

どう足掻いたって運命共同体的な長椅子式とでは、天と地ほどの(実質、集と個ほどの)差があるのだ。

 

 

いかに業深き僕の理性とはいえ、

長椅子式のシートで酒を飲むことに対しては、GOサインを出さなかった。思いの外、僕は冷静だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし。また、しかしだ。

理性がGOを出さなくたって、感情がGOを出したがることもある。

 

 

 

 

 

「あかん、流石にそれはあかん、良心が許さん。やめとけ。」
と、僕の中の良僕が囁く。

 

 

「いいじゃんか。たまにいるじゃん、飲んでる奴。時間も時間だし、気にするなよ。飲んじゃえよ」

と、僕の中の悪僕が囁く。

 

 

 

 

 「石川や 浜の真砂は尽きるとも」

と、記憶の中の啄木が詠う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイネケンとほろよい、そして助六の入った袋を片手に、僕は葛藤していた。

 

 

 

 

学生時代の僕は、

 

缶ビールやストロングゼロを片手に電車へ乗り込んでくる、ネクタイを緩めたくたびれサラリーマン達

 

を、とてつもなく残念なもの、のように眺めていた。

 

 

 

 

また同時に、彼らのことを、大変にかわいそうで哀れなものであるように眺めていた。

「かわいそうだけど、あんな大人にはなりたくないな」

と、思っていた。

 

 

 

 

 

 

その大人に今、僕はなりかけているのである。

 

 

あと一歩踏み出せば、僕はめでたく、彼らの仲間入りを果たすことができるのだ。

 

 

 

 

 

飲んでしまおうか。

いや、やめておこう。

 

 

いやいや、やっぱり飲もうか・・・。

いやいやいや、やめとこうよ・・・。

はたらけどはたらけど・・・。

 

 

 

 

 

 

僕の中の悪僕と良僕と啄木が戦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

結論が出るまでに、相当な時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

飲もう!!!!!

と、決めた。

 

 

 

 

 

車内にはすでに、空席が目立ち始めていた。

 

 

 

僕の良心よ、

社会の公序良俗よ、

今は亡き石川啄木よ、赦せ。

 

 

 

俺は俺の欲求を、今日だけ許してあげたいのだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、思ったその時。

終点である最寄駅に着いた。

 

 

 

ぽかーんとしつつ、電車を降りて、帰路に着いた。

 

 

途中、川沿いで歌う路上ミュージシャンの横で、ハイネケンとほろよいを飲んだ。

気づいたら、CDを2枚買っていた。

 

 

 

働けど働けど、我が暮らし楽にならざる理由、ここにあり。

 

 

 

 

ローソンに寄って、ストロングゼロとチョコパイを、ポイントで引き換えた。

 

チョコパイを食べながら、ストロングゼロを飲みながら、家まで歩いた。

 

 

 

 

こんな大人になりたくなかったな、と思った。

11月4日に、何を思い出したのか思い出せない話

タイトルの通り。

 

今日、どこかで(おそらくスーパーだ)、何かを見て、何かを思い出したんだけど、

それがなんだったのか、何を見て何を思い出したのか、全く思い出せない。

 

記憶の坩堝。

思い出したら、改めて記事にしようと思う。