女のような高い声

──5月9日を以って書きかけになっていた記事を、何とかして形にしたのが、以下の雑文である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常日頃からTwitterやなんだで表明している通り、僕は根本的に、本質論、が嫌いだ。

嫌いというか、「本質的に〇〇」という言説を、軽い気持ちで(かつ、ネガティブな形で)用いることに抵抗がある。お前は◯◯か!、みたいな。◯◯にもいろいろあるだろ。

 

 

 

なので本当のことを言うと、

「女のような高い声」

という記事タイトルにすら、若干の危うさを覚えている。

 

しかし、そう書かざるを得ないのだ。

それは、女のような高い声、だったから。

 

 

 

 

 

 

 

サントリーマグナムドライが復活販売されるようになって、何日経ったろう。子どもの頃によく聞いた、

「ギンギン ガンガン マグナムドライ

というCMソングと、新発売のマグナムドライとが、僕の中で結びつくまでにかかった日数、それよりはたぶん、2、3日長いように思う。(と書いてから、もう1ヶ月以上経過した)

この間から放映されている、帰ってきたウルトラマンパロディーのCMは、はっきり言って超ダサい。

 

 

 

いやしかしそれでもやはり、マグナムドライ、というものへの憧れは消えなかった。

子どもの頃、CMでその名をよく聞いたお酒。大人になった今はもう、生産が終了していて、飲むことができなくなっていた発泡酒

それが復活販売されるというのだから、少なくとも一度は飲んでみたくなるのが人情というものじゃないですか。そうでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういう訳で、昨夜ぼくは少し酔っていた。

 

たかだか6%の発泡酒だから、そうたいそうに酔っていたわけではない。少し気持ちを大きくして、判断力をごくわずかに鈍らせるような、たったその程度の酔気だ。

 

 

 

 

その程度の酔いですら、深夜0時という魔物にとっては、力強い家来となる。(なんという詩的な表現だろう!!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷蔵庫を整理しよう。

と、思い立った。詩的さのカケラもない。

完全に、酒の勢いだった。マグナムドライが思ったほど美味しくなかったのも、一因かもしれない。

そういう、根拠のない勢いを外部へ…なんらかの非・社会的な犯行へ注がないだけの判断力は、十二分にあった。

 

 

明日はゴミの日なのだ。冷蔵庫の中にいらないものがあったら、処理しなければならない。

例えそれが、食べるのを楽しみにしたまま忘れていて、干からびてしまった鱧しんじょうだとしても、安売りの時についでに買って、忘れ去られていた真っ黒いカボチャだとしても。

消費期限、というものの前に、食材は平等だ。否、平等であるべきなのだ。

 

 

 

あるべきなのだが。例外もある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「匂いも色も正常で、味もそんなにおかしくないもの」

 

 

 

 

 

 

こそが、この例外にあたる。

今夜に限っていうならば、それは  ───生クリームだった。

(罫線を3つ連ねると、純文学っぽさが増す。)

 

 

 

 

 

 

生クリーム。

(罫線の後の単語を、単体で直後に用いると、エッセイ感が増す。)

 

 

 

生クリームを買うことなんて、滅多にない。年末に、おせち用のいもきんとんを作るときくらいで、それだってなるべく安価な、植物性のクリームを選ぶほどである。

(いま僕は謙遜と見せかけて、さりげなく、それなりに料理ができる男を演出している)

 

 

 

にも関わらず、いま我が家の冷蔵庫には、未開封の生クリームが5つある。すでに賞味期限が切れていて、売り物にならなくなった代物を、とあるルートから譲ってもらったのだ。

(遠回りに、廃棄の品を盗って帰ったのではない、とフォローしているのです)

賞味期限の欄には、0419、とある。年数の記載はないけれど、間違っても令和年間のそれではないだろう。

 

 

意図せず願わず平成を超え、令和を迎えてしまった悲しい奉祝生クリーム。彼らの冥福(生クリームにも冥土があればいい。)を祈りつつ、我が町指定のゴミ袋へ放り込もうと、

 

 

 

 

 

 

 

 

掴んだ、その時。僕の動きは止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんか、固まってない…?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開封の生クリームと聞いて、あなたなら、どのような状態を思い浮かべるだろうか。

10人いればおそらくほぼ10人が、

「牛乳パックの小さいやつに、液体が入っている状態」

を想起するのではなかろうか。

 

 

実際、そうなのだ。僕だって、そんな10人のうちの一人だったし、このミルキーなジャクソン5を受け取った時点では、たしかに彼らも、液状を保っていたのだ。

液状、easy now.だったのだ。

 

それが20日という時間をかけて、ゆっくりゆっくりと、固体に変容していたのだ。こっちが全く知らな間に、彼らは彼らで、彼らの死を、彼らの形で迎えようとしていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなこと言うてる場合か!!!

 

 

 

 

ちゃうねん、バターみたいになってるんよ。一見すると、めちゃくちゃ美味しそうやねん。

 

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ美味しそうやねん!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機能覚えたての中学生みたいなブログだな。最悪。

 

 

 

 

 

 

 

本題。賞味期限切れの生クリームが5つあって、5つとも固体化していた。

それだけのこと。2行で済む話!!

 

 

 

 

 

 

兎にも角にも、開けて見ないことにはなんとも言えない。

ものすごい悪臭がするんじゃないか…と焦りながら、開封

 

 

 

臭いは、ない。

 

 

 

 

(そりゃそうや。酔うてて、鼻詰まってしもてるねん、アホか!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カバンから常備薬を取り出して、鼻の通りを良くする。ここまで努力したんだから、悪臭なんかさせたら許さんぞジャクソン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり、臭いはない。

手で仰いで見ても(理科の授業で習ったやつ)、鼻を近づけてクンクンしても(理科の授業で怒られるやつ)、それでもなお、臭いはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに書き忘れていたが、この時点で僕はすでに、全裸である。

思考と行動の流れを記すと、

 

 

 

 

 

「酔った!風呂はいろ!服脱ご!」

「沸かしすぎた!あっつい!どうしよ!」

「冷蔵庫の整理しよ!」

 

 

 

 

これだ。決してやましい理由からではない。

 

 

 

 

 

 

全裸である。少し酔ってもいる。

目の前には、固まった生クリーム。

 

頭に、牛乳風呂、と言う単語がよぎる。保湿乳液、と言う言葉が浮かぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気づいたら僕は、生クリームまみれになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、バケツの水のように浴びたわけではない。

とりあえずひとかたまりを手にとって、二の腕に塗りたくってみたのである。

 

 

 

さすが、新元号を冷蔵庫で迎えただけのことはある。ヒヤッとしている。

同時に、体温で溶けていく姿からは、「元来、俺は液体なんだ」という、矜持のようなものも感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鏡に映った自分の姿を眺めながら、気づいたら僕は、高らかに笑っていた。

テカテカになった二の腕。心なしか、肌ツヤが良くなったように思えて、こうなると次に取るべき行動は、もう他になかった。

 

 

 

 

気づいたら、風呂場に立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両手ですくった生クリームを、僕は躊躇なく、身体へと塗りたくった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒャーーーーーーーッッッッッッッ!!!!!

 

 

 

 

 

という声をあげる!!!!!!!!!冷たいのだ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに揉み込む!!!!!!肌よ輝けとばかりに揉み込む!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

てりかがやく身体!!!!!!!!

ヌルヌルになる風呂場!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は笑っていた!!!!

なにこれ、

 

なにこれと、ヒャーーーーーーーッッッッッッッと笑っていたのだ!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

━━それは、女のような高い声だった。

洗剤など3つ

●洗剤を変えたこと

 

洗濯用洗剤を変えた。

アタック抗菌EXから、トップハイジアへ。4倍増量パックが安かったので。

 

 

 

使って気づいた。洗い終わった後の香りが違う。

ラムネの石鹸割り、みたいな香りだ。あんまり好きじゃない。失敗した。

 

 

と、思いつつ、嗅いでしまう。洗い立ての匂いを。だって、洗い立ての匂いは、いいものなんだから。そういう風に、頭へ、体へ、染み込んでいるのだから。

 

そしてまた、ああ違う、と思いながら、ハンガーにかけ、物干しに干す。

干した衣服の匂いをまた嗅いで、またぞろ、ああ違う、と思い、次へ手を伸ばすのだ。

 

 

 

●叱り方が違う

 

 

一人暮らしだから、自炊をする。

自炊をするから、材料がいる。

材料を買うため、スーパーによく行く。

故に、一人暮らしの人は、スーパーによく行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことはない。

 

そんなことはないけれど、何はともあれ、スーパーによく行く。

まず最初に、鮮魚売り場へ行って、刺身が安くなっていないかを確認する。たいていの場合僕は、半額シールのついた刺身を手に入れたい。18時15分が狙い目だ。

 

 

野菜売り場も歩く。安くなってたら買うし、そうでなければ、吟味して買う。買わないこともある。

買い物って、たいていそういうものだ。

 

 

 

ふと前方に目をやると、3歳くらいの男の子が、青果商品にペタペタ触りながら、こちらへ歩いて来た。

 

よそ様の吾子の手を、無条件に不潔だとは言わないけれど、かといって、清潔では断じてあるまい。

やだなぁ、という目線を向けてしまう。

 

 

さて、我が子の所業に気づいたお母さんが、こう言う。

「こーら!触らんでええの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叱りかたが違う。

 

 

 

触らんでもいい、ではない。

触っちゃいけない、のだ。

 

You don't have to、じゃない。

You must not、なのだ。

 

 

案の定、やんちゃ御子息は、なおも嬉しそうに野菜をペタペタし続けていた。

 

子育てって大変だし、また各お子様に合った方法があるので、

非常識だ!とか、躾がなってない!とか、

そんなこと言う気は毛頭ないけれど、

 

 

ただひたすらに、叱りかたが違う、と思ったのだった。ペタペタされてなかった白菜を買って、コンソメで煮た。

 

 

 

 

●人間の記憶の怪しさ

 

 

大喜利サティスファクションに参加した。大会に出るのは、昨年3月の未来杯以来なので、実に一年以上ぶり。

結果については散々だったのでここには書かないけれど、やっぱり大喜利は楽しい。

 

 

仕事帰りに、直接向かった。間に合うかどうかギリギリだと思っていたが、思いの外早く電車に乗れたので、途中、東梅田で下車して、鉄火丼を食べた。

 

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ゲソも食べた。

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御堂筋線に乗り換えて、江坂へ。

 

江坂から会場の豊一市民センターまでのルートは、ぼんやり覚えていたので、敢えて地図アプリに頼ることなく、テクテク歩いた。

 

 

 

歩けば歩くほど、記憶は蘇ってくる。

そうそう、この近くにはコンビニがなくて、ちょっと歩いたところまで、みんな買いに行ってたんだ。

 

 

あの日のメンバーは、誰々だったろうか。

和室で車座になって…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和室?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かおかしい、と思い始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしかして、過去江坂では、別の大喜利会も開かれていたんじゃないか?俺はそこに参加していたんじゃないか?」

 

 

 

 

 

 

 

心はそこまで問いかけていたけれども、いや、そんなことはない、記憶こそ正しい…と信じて、歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

おかしい。ここにガソリンスタンドがなかった?

TSUTAYAと向かい合わせで、確か大会直前に停電が起こったんだ。

 

 

しかも、僕がTSUTAYAへ入店した途端に電気が消えて、なぜか僕がやったみたいな空気になったじゃないか!

 

そうだ、間違いなくTSUTAYAがあったはずだ。

 

 

 

 

 

しかし、TSUTAYAはなかった。古びたココスしかなかった。

 

 

もうこの時点で、疑念はほぼ確信に変わっていた。

 

 

 

 

 

かくして僕は、豊二地区公民館に到着した。

 

大喜利で満足する会が、かつて行われていた会場だ。懐かしいことこの上ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豊が1つ多い。

 

 

 

 

 

結局、本当の会場である豊一市民センターに到着したのは、18時25分頃。間に合ってよかった。

 

 

 

その後の大喜利は、まぁ、ボロボロだったんだけれども。

パピコ。

夏は夏らしく、夏じみたことをしないといけないのよって、涼宮ハルヒも言っていたことだし、

何か僕もそれらしいことをしよう

 

って、ただそれだけの動機で、パピコを買った。ファミマで買った。定番のやつを買った。

 

 

120円だった。金欠社会人の僕からしたら、そんなに安くはない額である。

ちょっと歩けばイオンがあるし、もっと歩けば100円ローソンもある街だ。

 

 

それでも僕は臆することなく、パピコを買った。ファミマで買った。ミルクコーヒーのやつを買った。

 

 

それはまったく、今日が25日だったことに起因する。どんなに薄給で安月給で金欠でヒーヒー言っていたとしても、給料日は労働者に等しくやってくる。(額は等しくない)

 

 

セミが鳴いてない以外、丸っ切り夏の昼下がり。

僕は母校の名前が書かれた、青のTシャツを着ていた。

 

青のTシャツに、リュックサック、ユニクロのヨレヨレGパンに、アディダスのスニーカー。

果たして誰が僕を見て、社会人だと思うだろうか。どこからどう見たって、夏休みの大学生である。

 

 

あの頃に戻りたいと、ちょっとだけ思いながら、パピコを食べた。二つに割って食べた。フタの中の余剰分から食べた。シャリシャリとしていた。

 

 

言うまでもなくパピコは、2本でひとつのシャリシャリアイスである。僕の口は上下合わせても1つしかないので、2本一気に食べることはできない。

 

パピコをくわえてチューチューしながら、自転車を漕いで、鴨川沿いを走った。昼間だから、ワーワー騒いでいる学生もどきたちがいた。

 

 

1本食べ終わった頃、ちょうど目的地について、もう1本に手をかける。

 

 

 

パピコはすっかり、溶けてしまっていた。

開けた途端、ビュッと飛び出て、フタの中の余剰分なんて、最初からなかったみたいだった。

 

 

あの頃・・・僕や僕らや、君やあなたが、まだ人生の第1章にいたあの頃。

パピコは、こんな溶け方をしていただろうか。

隣にいた誰かと、パピコを一本ずつ分け合っていたあの頃。

 

 

2本目のパピコは、ずいぶん溶けてしまっていたけれど、でもやっぱり甘くて、シャリシャリとしていた。テレビのニュースが、水不足の可能性を伝えていた。

 

 

 

 

 

 

 

今年の夏は、暑いらしい。

5月7日の深夜に、村上春樹を思う話

仮に変更線をまたいでいたとて、眠って朝を迎えるその時まで、僕にとって今日は今日である。

 

 

 

 

と、なんとも面倒くさい書き出し。

村上春樹を読んだ後は毎回こうなるし、たぶん多くの人にとってそれは、一種のあるあるネタのように、簡単に共感でき得る読後反応なのだと思う。

 

 

 

僕がちょうど中学生の頃、だったと思う。

1Q84が発売されて、世間には5年ぶりの村上春樹ブームが訪れていた。

 

 

同級生の読書好きな面々は、競い合うように村上春樹を読んで、その感想を語り合っていた。

(ように見えた。僕はその面々の一員じゃなかったから、実際彼らがどんな会話をしていたのかは、あんまり知らない。)

 

 

 

特によく読まれていたのは、

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

だったろう。

 

ただこれは、村上春樹を読みたい人たちによってではなく、

長門有希と同じ本を読みたい人たちによって」

だったけれども。

 

 

 

 

でも当時、僕は頑なに、村上春樹を読むことを拒否していた。

 

だいたい、最も尊敬する作家を問われれば、迷わず「星新一」と答える僕である。長編小説を読みたいはずもない。

 

その上、天邪鬼な性格なので、皆がこぞって読むのなら、俺は決して読まないぞ!

と、変なこだわりを持ってこだわりを以って、僕は村上春樹を通らずに生きてきた、のである。

 

 

(というか、別に村上春樹を通らなくたって、生きていけるのだ。

 

 

実際、村上春樹を読んだことない人なんて、世間に山ほどいることだろうし、

村上龍を読んだことない人も、乙一恩田陸佐藤多佳子いしいしんじや、を読んだことない人も、たぶん腐るほど居るはずなのである。

 

 

ただ、星新一を読んだことない人がいるとしたら、それは本当に人生の損なので、悔い改めてほしい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確か、中学2年生の時。

当時の担任が僕に、

村上春樹神の子どもたちはみな踊る』(新潮社  2000)

をくれた。クイズ大会の景品かなんか、だったような気がする。

先生は、読書科という教科の担当だった。

 

 

僕は新潮文庫が好きだ。星新一の作品が、たくさん出版されているからだ。

短編集だし、新潮文庫の作品なら間違い無いだろう・・・と、首を縦にうんうん振りながらって読んで、首を横にうん?と傾げて読み終えた。

 

 

中学2年生の僕には、世間の言う、村上春樹を深みがよくわからなかった。

いやさ、良さはわかった。読後感が良かったのだ。

 

 

『蜂蜜パイ』を読み終えた時には確かな達成感があったし、

彼の書く世界が世間に評価されている理由も、なんとなくはわかった。

けど、星新一の方が好きだった。これは今でもそうだ。

 

 

 

 

そもそも僕は、

村上春樹を読む」

と言う行為に、反感を覚えていたのである。

 

 

 

「中学生にして、村上春樹を読んでいる自分」

みたいな空気をまとったやつが、僕の周りにはたくさんいた。

 

たぶんあの頃、日本のいたるところにそういう中学生がいて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村上春樹を読むということは、特に僕にとってプラスというわけでは無いのだが、それでも0は1になり、1をこそ僕は0と呼ぶのだ。それは夜の海が、昼の白を嘘のように飲み込んで、黒を僕たちに見せつけるようなものだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とかなんとか!しゃらくせえことを言ってたに違いないのだ。

頭の悪い村上春樹(村上夏樹)みたいなことを、やれやれやれやれ言いながら、呟いていたのに違いないのだ。

 

 

 

僕はそういう、

村上春樹を読むという行為に満足している中学生」

が、大嫌いだったのだ。

 

 

 

(それはつまり、大学一回生が、

「僕、酒強いんすよ〜。いやぁ、やっぱハイネケン美味しいですわ〜」

とかほざいてるのを見て、イラっとするのと似ている。お前らはオールフリー飲んどけ)

 

 

 

 

村上春樹には、対象年齢設けた方がいいと思う。

今ようやく、村上春樹がちょっとわかるようになって、思う。

 

 

 

人間には何事につけレディネスというものがあって、物事には時宜というものがある。

人の成長具合はそれぞれとはいえ、やっぱり村上春樹は、中学生が味わうようなもんではなかろう。

 

 

 

 

同時に、大人になればわかる、というものでもないだろう。

わかんないよ!村上春樹

 

 

 

だから言うなれば、

「世の中のわかんないことを、受容しなければならない時期」

にこそ、村上春樹は読むべきなのかもしれない。

 

そういう意味では、もののけ姫もそうだよな。

 

 

 

 

 

 

と、こんなことが大体言いたかったらしい。どうやら、僕は。

 

 

 

 

この日記、タイトル見ればわかるように、5月7日の深夜に、酒の勢いで書き始めた。

けども、書き終えないまま寝てしまって、いま、マクドナルドで、最後まで書き終えた。

 

 

あの時の僕が何を言いたかったのか、どんな熱量を持って村上春樹について書こうとしたのか、よくわからない。

 

 

 

 

仕方ない。

わからないことは、受容しなければならない。

 

 

 

 

やれやれ。

 

3月29日に、だいたいが日記なのであるという話

だいたいが、日記なのである。

 

前回の記事を見返して、そのあまりの堕落ぶりに愕然としている深夜1時。

堕落というか、退化というか・・・ようするに、中学生の頃の僕が書いていたような、心底つまらない記事になってしまっているのである。あな情けなや。

 

つまらないにも色々種類があるが、悪い方のつまらないを、前回の僕はやってしまっているな、と思う。

 

すなわち、さも面白いものを書いているかのように、つまらないものを提示してしまっている、ということだ。

 

球磨川さんが出てきたところなんか、つまらなさすぎて目を疑ってしまった。

 

とはいえ、今の僕であれば面白いことをかけるのかと言われると、別にそういうわけでもない。

というかそもそも、面白いものを必ず書かなければならないような、そんな場所ではなかったはずなのだ。

 

元はと言えばぱっと思いついたことを、ぱっと記したり、垂れ流したり。その程度でよかったはずなのだ。

 

もっとワッといえば本当は、僕の過ごした1日について羅列するだけで、よかったはずなのだ。

そういうブログを見て、俺もやりたいなぁと思ったのがきっかけだったじゃないか!

 

 

もっと気楽にやろうと思う。

だいたいが、日記なのである。

 

できれば記事タイトルだって変えてしまいたい。

だいたいが、日記なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今年の流行色はオレンジ色です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橙が、人気なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うちの家系は、暗い人間ばっかりで・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代々が、陰気なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたし、あいつに、さよなら言えてない・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バイバイが、言えてないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・後遺症は、癒えてないのである。

元のブログに戻る日は何処。

再会は、未定なのである・・・。

2月24日に、羨ましくて自分も書いた話

誰かにブログの更新をせがまれるなんて、羨ましいことこの上ない。そういう経験を、僕もしてみたいものである。

妬ましいから、僕も久しぶりにブログを更新しよう・・・と、思い立った次第。

 

 

 

と、ここまで書いて、

「そういえば俺も前に、ブログ更新してくれって言われたな」

と、思い出す。

奈良の浪人生は元気にしているだろうか。

まだ彼は奈良の浪人生なのだろうか。

こんなブログ読んでる暇があるなら、その時間を勉強に使っておくれ。

 

 

 

 

 

毎度毎度書いてることなので、そろそろ書き飽きたし聞き飽きたろうが、仕事柄、日常について、あまり記すことができず、自然、更新が滞ってしまう。

 

 

 

 

 

トド凍る。カチーン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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球磨川くんのおかげで、死なずに済みました。僕は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

とにかく、日常を記すことができないから、更新は自然と停滞してしまう。

(※滞る、という単語の使用を避けることで、二の舞にならないようにした、僕の判断力を褒めたい。hold me tight.)

 

 

 

 

当たり障りのないことを書くだけで、いかに記事としての価値を維持するかという、牙を抜かれた新聞記者みたいな書き方をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

オリンピックを観ながら書いていたのですが、ここまで書いた時点で、日本がメダルを二個取りました。

高木菜那かわいい。藤沢五月かわいい。結婚してくれ。

 

 

 

 

 

 

せっかくだから、オリンピックの話でもして、お茶を濁そう。

 

 

 

 

 

 

高木菜那カーリング女子のおかげで、なんとか今大会、

「メダル獲得の瞬間」

を、リアルタイムで見ることができた。

 

 

特にマススタートの高木菜那(かわいい)のおかげで、金メダル獲得の瞬間が観られたのは、結構嬉しい。

 

 

 

今大会1つ目の金メダルが、日本にもたらされた時。

つまり、羽生結弦(同い年)のフィギュアスケートFPが行われていた時間帯、僕はお仕事中だった。社会人だからね。

 

 

同い年の羽生君が、氷上でくるくる回ってる間、

僕は社会の歯車として、ぐるぐる動き回っていたのです。格差。

 

 

 

 

結局僕は、上司の

「おっ、羽生金メダルや!」

という声で、その結果を知ることになった。職場は一瞬、おーっ!ってなったけど、この「おーっ!」は、弱い。

 

 

 

 

LINEニュースや、スポーツナビの速報で、結果を知ることもある、

二つ目の金メダル、小平奈緒(試合着の時の方がかわいい)の時がそうだった。

 

 

小平奈緒が決勝に挑んでいた時間帯、僕はちょうど家にいて、しかも、テレビの前に座っていた。

 

Yahoo!ニュースにはすでに、

小平奈緒、今夜決勝!」

というような記事タイトルが踊っていた。

それを見た僕は、その瞬間を目撃する気満々で、テレビの前に控えていたのである。

 

 

 

これが誤算だった。

タイトルだけじゃなくて、記事そのものを確認するべきだったのだ。

 

 

 

そう僕は、試合時間を、大きく勘違いしていたのである。

 

 

リオデジャネイロ五輪とか、南アフリカW杯の時の感覚で、なぜか僕は、

「試合は深夜0時くらいにやるもの」

と、思い込んでしまっていたのだ。

 

 

 

考えてみれば、今回のオリンピックは韓国開催なのだから、そんなに時差があるわけでもない。深夜に試合を行うメリットなど、なにもなかったはずなのだ。

序盤で行われたスキージャンプ等の印象もあり、てっきり深夜に行うものとばかり僕は思いこんでいて、時間を確認しようとすらしなかった。

思い込みとは、かくも恐ろしいものであり、人間にとっt

 

 

 

 

そんな理屈はどうでもいい。

 

 

とにかく僕は、試合時間を勘違いしてしまったがために、小平奈緒の金メダルを見逃した。

 

 

しかもその際、僕はテレビの前で何をしていたかというと、

 

 

 

 

 

 

タンスにたまったお金の確認

 

 

である。

銀行に預けていないタンス預金がだいぶたまったので、額を確認しようと、封筒からお札を取り出して、一枚一枚数えていたのである。

 

 

金を見ていたせいで、金を見逃すとは。

 

 

 

守銭奴みたいな見逃し方をしてしまった。確定申告め・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

3つ目の金メダル。女子団体パシュートが行われていた時間。

だいたい、21時45分頃。

僕は職場の仲間たちと、お酒を飲んでいた。

 

 

小さな居酒屋、その隅っこに、大きめの薄型テレビ。

およそ小さな居酒屋に似合わないサイズのそれは、なぜか熱心に、カーリングの試合を放送していた。

 

 

 

 

小平の悲劇から学んだ僕は、この日の試合時間を、事前に調べていたので、

「まもなく女子団体パシュートの決勝が始まる」

ことに、気づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

しかし、上司を含めた僕の仕事仲間たちは、誰一人この、重大なる事実に気が付いていなかったのである。

 

 

 

 

 

「チャンネル変えてもいいですか」

 

と、一言いいたかった。

 

 

ああ、言いたかったとも。

 

 

 

でも、言えなかった。相手は上司や、取引の関係者ばっかりだったからだ。

 

 

 

「テレビのチャンネル変えさせてください」

 

 

なんて、言えるような空気じゃなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕がそわそわし始めてから、だいたい10分後。

ピロピロ言う音共に、

「ニュース速報」

というテロップが現れ、カーリング女子(藤沢五月がかわいい)の眉毛にかぶった。

 

 

さすがの上司たちも、テレビ画面に集中し、速報の続きを待つ。

 

 

「女子団体パシュートで、日本が金メダル」

 

 

という結果テロップに、僕らだけでなく、店内にいたたくさんの人が、おーーーっ!!と、歓声をあげた。

自然と拍手も起こり、おめでたいムードに、店内はつつまれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つつまれたけど、弱い。弱いよこれじゃあ。

 

 

 

 

 

 

だって、もしチャンネルがNHKに合わせられていたなら、

こんなニュース速報なんかじゃなくて、現にこの目で、金メダルの瞬間を確認し、みんなで喜びを分かち合うことができたはずじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中途半端な喜びで満足するな。

ゆるふわ4コマか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういうようなわけで、僕は今大会、金メダル獲得のシーンというものを、まったくリアルタイムで共有することが、できなかったのである。

いや、金メダルどころじゃない。

銀も銅も、だ。なんてことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このまま僕は、メダル獲得の瞬間を観られないまま、ピョンチャンとさよならしなきゃいけないのか・・・

 

 

 

と、思っていた矢先の金メダルだった。

 

 

今大会4つ目、おそらく最後の金メダル。

女子マススタートの、高木菜那(結婚してほしい)。

 

 

小平の悲劇から何も学んでいなかった僕は、特に試合時間を調べることもなく、何の気なしにテレビをつけた。

 

 

 

ちょうど、女子マススタートの準決勝が始まるところだった。

 

 

 

 

最後のチャンスが巡ってきたのである。

 

 

 

 

これ幸いとばかりに、残りの時間、テレビをつけっぱなしにして、ブログを書き始めた。

途中、佐藤綾乃(かわいそう)のリタイアに同情したり、81将棋で5級に昇級したりしながら、その時を待った。

 

 

 

 

 

 

かくして、その時は来た。

僕は、高木菜那(妹もかわいい)が金メダルを獲得したこと以上に、

「金メダル獲得の瞬間が観られた」

ことに興奮し、歓喜していた。

 

これを逃せば、あと4年は見られなかったわけだから、感慨深い。

 

 

 

4年後の自分に思いをはせたりしながら、強引に、ここまでブログを書いた。

 

 

たまにはこうして、スケート選手みたいな気持ちを味わうのも、良いかと思っている。

 

 

 

 

 

 

滑ってるもんね、今日。

 

1月25日に、年末の眼鏡の件を思い出して書いた話

この日記を書き始めたのは、果たして何月何日だったろう。
すっかり忘れてしまったけれど、かつて自分がフリックした文字文字と、断片的な記憶とを頼りに、書きつづけてみる。

 

 

 

年末に、伊達眼鏡を買った。
言わずと知れた3COINSショップで、税込分9枚のコインを出して、買った。


硬貨で安価な眼鏡を買った。

 


正確にいうと、眼鏡じゃなくてサングラスらしいのだが、ぱっと見では眼鏡にしか見えないサングラスなので、
もはやこれは僕にとって、ぱっと見では眼鏡にしか見えないサングラスではなく、サングラスと名のついた眼鏡なのである。


購入理由は別に、変装をするためでも、目の前で眼の前で、UVをカットするためでもない。

 


かけてみたかったのだ。眼鏡を。

 

 


幸いにして、視力のいい人生を送ってきた。

暗い部屋でテレビを見たり、
布団の中で漫画を読んだり、
押入れの中にお菓子とゲームを持ち込んで遊んだりするのが、
大好きな子ども時代を過ごしたにも関わらず。
(今も好き。)

 

僕の両目の状態は未だ、少なくとも1.2という数字を出せる程度に、良好である。

 

そんな目よし長慶であるが故に、僕は生まれてこのかた、眼鏡というものをかけて生活したことがない。

 


たまに、友達や兄貴のメガネを借りて、かけて見たことはある。
けれど、目は痛いし、鼻の上に違和感はあるし、踏んだり蹴ったりで、ものの数分で辞めてしまうことが常だった。

 

かといって、もし視力が悪くなってしまった場合、
(聞いた話なのだが、老化、というものがあるらしい)
コンタクトレンズを目の中に入れるほどの度胸は、僕にない。

 

目の中に入れても痛くないほど、コンタクトレンズを可愛く思える気もしない。

 

もしそうなってしまった場合に、僕に残された選択肢は、眼鏡をかける、以外に存在しない。
であるならば、今のうちから度無しの眼鏡をかけておいて、その日に備えておくべきではないか?

 

と、
は、思わなかったけれど。

 

 

そんな大それた理由などなく、ただ単純に、眼鏡をかけた生活というのを、やってみたかったし、やって見たかったのである。

 

 

 

初めて眼鏡をかけて出かけた、年の瀬のある日。


昼夜感覚がぶっ壊れているから、早朝6時みたいな顔をして、11時15分の街を歩いた。


かつての遊郭跡地(未だにお店はたくさん残ってて、ゴーストタウン化してる)を横目に、街を北上する。

眼鏡をかけながら何かを横目に見るのは、生まれて初めての経験だった。

 

寒い朝(というか昼前)、僕は駅に向かっていた。
その日はたまの休みだったので、ちょっとお出かけしたかったのである。

もちろん、眼鏡をかけて、だ。

 

行く先のアテはなかったが、時間的にお腹も空いていたので、
(朝飯の感覚だったが、昼飯の時間だった)
ラーメンでも食べに行こうと、思っていた。

 


駅のホーム。思わぬ災難が僕に降りかかった。


あまりにも寒いので、缶コーヒーを買って飲んでいたのが、突如ときて、目の前が真っ白になってしまったのだ。


テロかと思ったが、そうではない。


おそらく、ほとんどの人がこの事実を知らないと思うのだが、

 

 

 


湯気を当てると、眼鏡は曇る。

 

 

眼鏡知らずの兵庫っ子である僕は、何の前触れもなく訪れた薄白の世界に、有馬の雪を見た。

 


仕方ないので、コーヒーを飲んでいる間、眼鏡を外すことにした。
途端、さっきまで不良極まりなかった視界は開け、
ちょっとだけ黄色がかった世界は、本来の明るさを取り戻した。(やっぱりこれサングラスなんだな、と思った。)

 


コーヒーを飲み終え、ホームのゴミ箱に缶を捨てて、再び眼鏡をかける。
もう二度と同じ轍は踏まない。


さっさと目的地へ行って、ラーメンを食べて、お買い物でもして帰ろう。

 

 


固い決心をしてから、40分後くらいだろうか。
一杯のラーメンを目の前にして、僕の視界は再び、奪われることとなった。

 


おそらく、ほとんどの人がこの事実を知らないと思うのだが、

湯気を当てると、やっぱり眼鏡は曇るのだ。

 


ラーメンを食べる間、眼鏡を外すことにした。
またしても僕と眼鏡は、現実に打ち負けたのである。

 

敗北感に苛まれつつ、お冷の横で横たわる眼鏡を眺めながら、
視力が良くて本当によかったな、と思った。


美味しそうなラーメンを、眼鏡も無しで、眺めることができるんだから。


ありがとう、俺の両目。
目の中に入れても痛くない、俺の両目。ありがとう。

 

 


ラーメンを食べ終え、眼鏡をかけて、街へ出た。やっぱり世界は、少し黄色がかっていた。

 


相変わらず、行く先にアテはなかったけれど、
眼鏡拭きを買って帰ることだけ、僕の中では決まっていた。

 

街中に行くにあたり、風邪を引きたくなかったので、マスクを装着して歩いた。

 

 

 

 


途端、僕の視界は薄白になった。

 

マスクの奥に笑顔讃えて、僕は三度、眼鏡を外すのであった。