11月7日に、こういう大人になっちゃダメだと思った話

酒が飲みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり大きな字で書くくらい、それぐらい僕は、酒が飲みたかったのだ。

 

 

 

 

21時半頃。一仕事終えた僕は、酒席に向かう仲間にバイバイして、帰路についた。

僕だけみんなより家が遠かったから、である。

 

 

 

 

 

 

みんなの背中が見えなくなったので、僕もくるりと踵を返し、駅へと歩き出した。

 

 

・・・と、その途端。なんでかわからんのだが、ガクッと疲れに襲われた。ガクッと、である。

ちょっととか、少しとか、ドッととか、セミコロンじゃ、ないのである。

 

くるりと踵を返しただけなのに。

僕の中から誰か出て行ったのだろうか。

 

 

 

 

 

弱ったなぁ、と思ったのとほぼ同時。

 

 

 

 

気づけば身体は、酒を欲していた。

 

 

 

 

 

疲れが出ているのだから、無事に家まで帰り着くためにも、寝るなりぼーっとするなり、大人しくしておくべきなのは重々承知している。

 

 

 

 

けれども僕は、それでも僕は、酒を欲してしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

電車で飲もう…ーーと、決意した。

 

 

 

 

この時間、僕の家方面(正確には、僕の家から徒歩20分くらいの最寄り駅、方面)の特急は大体、ボックス式の座席を、その腹に抱えている。

 

うまいこと調整すれば、二人がけの椅子を、あたかも自分の個室か何かのように使えるタイプのあれだ。

 

 

 

 

「あそこでなら、酒を飲んでも良いだろう・・・」

と、僕の理性がGOを出していた。(業が深い。お郷が知れる。)

 

 

 

もちろん、電車の中のみならず、公共の場で飲酒をする行為は、決して褒められたものではない、と思う。

 

 

 

とはいえ、理性は ーーあくまでも僕の中の理性はーー、

「ボックス席における飲酒はセーフ」

と、結論づけた。

 

 

 

 

 

気づけば僕は成城石井で、ハイネケンと、ほろよいももと、助六弁当(30%オフ)を、購入していた。

 

発泡酒ではなく、ハイネケンなんて贅沢をしているあたりに、僕の気合と欲求の強さがうかがえるし、

値下げされた助六弁当でバランスをとってるあたりに、まだ飲む前の冷静さも垣間見える。

 

 

 

 

 

 

ついでにアズナスで、週刊少年ジャンプ(未だに読んでる)を購入し、意気揚々とプラットホームへ歩みを進めた。

 

我こそは最強だ!!と、思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・しかし。ホームへたどり着いた僕の目に飛び込んできたのは、

「次発 快速急行

という、予想外の電光掲示だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなのだ。

あまりこの時間、この路線の電車に乗らないから、僕は知らなかったのだ。

 

 

 

22時を過ぎたこの方面、特急電車はとっくに終わっている、ということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌な予感を抱える僕の前に、快速急行はゆっくりと現れた。

果たして彼は、長椅子だけを積んでいた。奴のヘッドライトが、残念でしたと言ってるように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長椅子だからなんだ!同じ電車じゃないか!」

と、思われる方も、中にはいるかもしれない。

 

 

 

 

だがしかし、残念ながらそれは違うのである。

 

うまくいけば半個室になりうるようなボックスシートと、

どう足掻いたって運命共同体的な長椅子式とでは、天と地ほどの(実質、集と個ほどの)差があるのだ。

 

 

いかに業深き僕の理性とはいえ、

長椅子式のシートで酒を飲むことに対しては、GOサインを出さなかった。思いの外、僕は冷静だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし。また、しかしだ。

理性がGOを出さなくたって、感情がGOを出したがることもある。

 

 

 

 

 

「あかん、流石にそれはあかん、良心が許さん。やめとけ。」
と、僕の中の良僕が囁く。

 

 

「いいじゃんか。たまにいるじゃん、飲んでる奴。時間も時間だし、気にするなよ。飲んじゃえよ」

と、僕の中の悪僕が囁く。

 

 

 

 

 「石川や 浜の真砂は尽きるとも」

と、記憶の中の啄木が詠う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハイネケンとほろよい、そして助六の入った袋を片手に、僕は葛藤していた。

 

 

 

 

学生時代の僕は、

 

缶ビールやストロングゼロを片手に電車へ乗り込んでくる、ネクタイを緩めたくたびれサラリーマン達

 

を、とてつもなく残念なもの、のように眺めていた。

 

 

 

 

また同時に、彼らのことを、大変にかわいそうで哀れなものであるように眺めていた。

「かわいそうだけど、あんな大人にはなりたくないな」

と、思っていた。

 

 

 

 

 

 

その大人に今、僕はなりかけているのである。

 

 

あと一歩踏み出せば、僕はめでたく、彼らの仲間入りを果たすことができるのだ。

 

 

 

 

 

飲んでしまおうか。

いや、やめておこう。

 

 

いやいや、やっぱり飲もうか・・・。

いやいやいや、やめとこうよ・・・。

はたらけどはたらけど・・・。

 

 

 

 

 

 

僕の中の悪僕と良僕と啄木が戦っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

結論が出るまでに、相当な時間がかかった。

 

 

 

 

 

 

飲もう!!!!!

と、決めた。

 

 

 

 

 

車内にはすでに、空席が目立ち始めていた。

 

 

 

僕の良心よ、

社会の公序良俗よ、

今は亡き石川啄木よ、赦せ。

 

 

 

俺は俺の欲求を、今日だけ許してあげたいのだ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、思ったその時。

終点である最寄駅に着いた。

 

 

 

ぽかーんとしつつ、電車を降りて、帰路に着いた。

 

 

途中、川沿いで歌う路上ミュージシャンの横で、ハイネケンとほろよいを飲んだ。

気づいたら、CDを2枚買っていた。

 

 

 

働けど働けど、我が暮らし楽にならざる理由、ここにあり。

 

 

 

 

ローソンに寄って、ストロングゼロとチョコパイを、ポイントで引き換えた。

 

チョコパイを食べながら、ストロングゼロを飲みながら、家まで歩いた。

 

 

 

 

こんな大人になりたくなかったな、と思った。

11月4日に、何を思い出したのか思い出せない話

タイトルの通り。

 

今日、どこかで(おそらくスーパーだ)、何かを見て、何かを思い出したんだけど、

それがなんだったのか、何を見て何を思い出したのか、全く思い出せない。

 

記憶の坩堝。

思い出したら、改めて記事にしようと思う。

11月1日に、なぜ僕が制服萌えなのか考えた話

毎度毎度言うことだけど、日常について記すことができないのは、雑文ブログ書きにとってかなり致命的だ。

 

 

最初の頃の記事と今の記事で、中身が違いすぎてるなぁと、僕だって思っているのです。

お菓子をこっそり小さくしている企業の人も、本当はこんな寂しい気持ちを感じているのかもしれない。しょうがないことなのだ。

 

 

自分が今日こういう一日を過ごしたとか、どこへ行って何をしたとか、一切書けないんだから。

雑観の記しようがない。That is a しょうがない。

 

 

 

結局、日常のワンシーンを切り取って、論を深めることとなる。

今を起点に過去を振り返り、最後に今に戻ってくることで、本日のブログとするしかないのだ。

(ちょうどまさに、前回のブログがその感じ。)

 

 

今日も今日とてそうなんだけど、ところでこの言い訳、僕は一体誰に向けて書いてるのでしょう。

 

 

 

 

帰り道。

特急に揺られて、始発駅からほぼ終点まで。熟睡して目覚めても、まだついてない程度には遠い。短距離新幹線ってできないものだろうか。

 

 

できない。

 

 

目を覚ました僕、の正面、の空いていたはずの席に、二人の女子高生が腰を下ろしていた。

(そう、4人がけの椅子だった)

 

 

紺のセーラー服を見にまとっており、冬の訪れを感じさせる。ひとりは少し腕まくりしていて、もう一人は濃グレーのカーディガンも着ている。

ほんでまた、二人とも、似たような髪型だ。

 

 

f:id:tagosaku_D_54:20171101183841p:image

 

 

 

こんな感じの。

(なんと呼ぶのか知らない。後ろでお団子みたいに編み込みして、両方から細長くダランと垂れ下がらしている。よく見るけど、流行ってるのかな。)

 

 

 

うっすらではあるが、化粧をしている。運動部じゃないのか、はたまた、運動部を引退して、少し色気づいたのか。

片方がスマートフォンをいじり、もう片方が仕切りに話しかけている。

仲睦まじい帰り道を、絵に描いたような景色。いいなあ、青春。羨ましいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見過ぎ。

 

うん、そうだ。わかってる。でも見ちゃうのだ。

 

 

僕はどういうわけか昔から、セーラー服(特に紺とか黒。冬セーラー。)が好きなのだ。性癖だからしょうがないのだ。

 

 

女子高生の制服というものに、なんとも不思議な魅力を感じるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、そんなに不思議でもないわな。

制服モノのビデオ、たくさんあるもんな世の中に。

 

 

 

 

 

 

 

いや、でも違うの。違うのよ。性的なそういうナニとは違うんです。

 なんかもう、言葉にしづらいけどぉ・・・ナニをしたいとか、一切そういうことではない。

 

 

 

ただもう、可愛いなぁいいなぁって、思うだけなのだ。

 

胸当てはある方が好き。スカートは長めで。

冬セーラーとタイツの組み合わせは最強だと思う。

ブレザーも好きだけど、でもやっぱりセーラー服。

いいなぁ、彼女できたら着て欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これやっぱり、ただの性癖だな。

強がってごめん。

 

 

 

 

しかし、僕のこの、制服萌えの原点はどこにあるのだろう。

一番古いセーラー服に関する記憶を考えていたのだけども、それだとポパイになっちゃうので、どうやら関係ないらしい。

 

 

 

 

やっぱり、中学・高校と6年間、男子校生活が長かったのが、一番大きな原因なのかもしれない。

 

 

母校のすぐ近くには、セーラー服の共学公立高校もあったし、考えてみれば初恋のあの娘だって、黒のセーラー服を着ていたではないか。

 

 

あの娘に恋してたのやら、セーラー服に恋してたのやら。

 

 

 

そういう思春期の抑圧が、今の熱情を生んでいるのかな。

あの頃、決して手に入らなかったものに対する、永遠に続く憧れというか、欲望というか。怖っ。

 

 

 

 

 

 

何が怖いって、

女子高生とおっさんが絡んでるようなビデオ見たって、そんなにときめかない、というところなのだ。

 

 

たぶんセーラー服に対する憧れは、中高生だった僕が持っていたもので、

この渇望をどうにかするには、中高生僕がなんらかの形で満たされる必要があるのだ。

 

 

 

言うまでもなく、不可能な話である。

今や僕は大人僕になっており、中高生僕のセーラー服に対する憧れは、今後未来永劫、解消され得ない。

大人僕がおじさん僕になり、おじいさん僕になっても、中高生僕は満たされないままで、いつまでもいつまでも、セーラー服を好きでい続けるのだ。

 

 

なんか、村上春樹みたいな話になってきたな。壮大だ。

(早大付属はブレザーか男子校らしい)

 

 

 

 

 

 

 

こんなブログを、電車に揺られながら、ずっと書いていた。無表情で。もうすでに怖い。

 

 

ほんでまた、そもそものきっかけとなった女子高生二人は、

どうやら修学旅行生だったらしく、他の座席に座っていたセーラー服仲間たちと合流して、僕と同じ駅で降りていった。楽しそうに。

 

 

宿舎に戻るのだろうか。だとしたらあの旅館か・・・?

 

とか、ちょっと考えたところで、

大人僕が中高生僕を戒めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

それ以上は犯罪だぞ!!!  と。

 

 

 

 

自宅に戻って、ここまで記した。

なぜ制服萌えになってしまったのか、その理由は全くわからんけれども、

とにかく僕はセーラー服が好きだし、たぶんそれはこれからもずっと同じだ。

 

 

ハロウィンハロウィン言う暇あったら、女性諸氏はぜひセーラー服を着てくれ。ドンキとかで売ってるやつはNG。

 

 

 

 

 

 

 

今更なことだけど、今日のブログ、相当気持ち悪いし、相当恥ずかしいやつだね。ブログを書き始めたあの頃の、いい具合にのらりくらりした感じは、果たしてどこにいってしまったのやら。

 

 

元々、遠い異国の船乗り服だったそれが、150年近く経って、遥か極東の日本男児を、こうも辱めることになるとは。

 

航海させたり、後悔させたり。

雑なオチをつけて、記事を公開。ではまた今度。

10月20日に、空腹を通じて昔が思い出された話

腹が減った、と、突然思った。

今日の10時頃、バイト中の話だ。

 

 

 

僕は子どもの頃から、あまり寝起きがよくない。

殊に、「その後に、特に面白くもない平凡な何か」が待っている朝は、常に体調が悪い気がする。

 

 

小学生の時は確か、7時半に起きて、8時に家を出ていたのだけど、その頃すでに、朝ごはんを食べるのは苦痛であった。せっかく母が作ってくれたんだから・・・と、子どもながらに吐き気を抑えて、無理やり詰め込んでいたと思う。

 

 

 

 

中学に入ると、起床時間はさらに早まって、6時15分起床、6時45分出発、というような日々を送るようになった。

 

この頃、僕の朝ごはんといえば、もっぱらプリンであった。他に食べられるものがなかったのである。

 

とろける系のプリンを、流動食のようにお腹へ流し込んで、昼までの空腹をごまかす日々。いま思えば、思春期の精神的なアレコレもあったのかもしれぬ。

 

 

 

中1の2月、冬休み明け某日。

珍しく体調が良かった僕は、朝起きて、トーストを1枚食べて、コーヒーを飲んで、出かけた。

 

 

これが間違いだった。

学校の最寄駅についた時、僕は異常なまでの腹痛に襲われて、最寄駅のトイレから動けなくなった。

 

 

波が引いたのを見計らって、駅を離れ、学校へ向かった。当時(おそらく今もそうなのだけど)、僕の中学ではバス通学が禁止されていて、学校に至る上り坂を、15分強歩く必要があった。

 

 

その間、公園や小学校はあれど、トイレが備え付けられたコンビニのような施設は、ひとつもなかった。今もない。遅れている。旧時代的だ。ナンセンスだ!

 

 

結局僕は坂の途中で、腹痛に襲われ動けなくなり、うずくまることとなった。

 

見知った先輩や同級生が、時折心配そうに声をかけてきたり、

知らない先輩や同級生が、これまた心配そうに眺め去っていったり、

ついには知らないおばさんと、散歩中の犬にまでジロジロ見られたりと、

 

実にまあどうも本当に屈辱的な通学を、僕は余儀なくされてしまった。

 

 

 

最終的に僕は、もうどうにも間に合わなくなってしまって、恥と恥とを天秤にかけた。

(つまりは、漏らすか、借りるか、である)

 

 

上村、とかかれた表札、その真横にあったインターホンを押して、話して、開けてもらって、借りた。

トイレを。

 

 

そう僕は、上村さんというお宅でトイレを借りて、なんとか生き恥を晒さず、生き糞を漏らさずに済んだのだ。

(卒業直前に確認すると、上村さんちは更地になっていたので、ひょっとすると、僕を救うための幻だったのかもしれない)

 

 

 

 

 

 

 

あれから年月が経ち、立派な大人(法的に)になった僕だけれど、未だに朝が弱い。

7時起き、8時出勤の毎朝、ご飯を食べられよう筈もない。もうこの町に、上村さんはいないのである。

 

 

そういうわけで、本日朝10時、僕が急激な空腹に襲われることとなった。

空腹からくる吐き気すら覚えた。

 

 

本来、この話が本題だったんだけど、

思い出を書き連ねているうちに満足してしまったので、

ここから先の僕の1日については、特に記そうとも思わない。もうお腹いっぱいでしょう?

 

10月4日に、中断するのは難しいと思った話

賢明なる読者諸兄は、僕がこのブログを書くにあたって、各記事のタイトルを(一部例外を除いて)、同一の形式で統一していることにお気づきだと思う。

 

 

具体的には、

「●月×日に、△△△した話」

という具合に、毎回毎回、同じ形式で記事タイトルを統一しているのである。

 

 

言うまでもなく、これは伊集院光『のはなし』へのオマージュ、というかパクリ行為、真似っこだ。

 

別に、伊集院光のファンでもなんでもないのに。

と言うかむしろ、ちょっと苦手だと言うのに。

 

 

伊集院光本人は苦手だけれど、「●●●のはなし」という形式には、かなりのリスペクトを抱いている。相当万能な形式だな、と思う。

 

 

 

思うけども、ただしそれは、「発表するべき作品の書き方として」、である。

ここまでやって見て気づいたことなんだけども、日記のタイトルとして、「のはなし」のパロディは、余りにも重い。

 

 

「●月×日に、△△△した話」

と銘打ってしまうことによって、そこにわずかに、作品感が生じてしまうのだ。

生じてねえよ!と、あなたは言うかもしれないが、僕からしてみれば、生じている。

 

 

「●月×日に、△△△した話」

と書いたからには、

「●月×日に、△△△した話」

を、書かなきゃいけなくなっちゃうのである。

 

 

そうなると、脱線が難しくなる。

もちろん、脱線して脱線して、最後の着地を綺麗に決められさえすれば、それでも良いようなもんだけど、

それこそさっき書いた「作品感」を醸し出す原因に他ならない。

 

 

時間がある時はそれでもいいけども、時間がないとき(まさに今、ここ近頃)に、そこまで手の込んだ、頭を使ったことは、やってられないのだ。

 

 

そうしてまた、更新頻度はどんどんと落ちていき、ついにはストップしてしまう。これまで何度も、そう言う経験をしてきた。基本的に、僕は飽き性なのである。

 

 

「タイトルの付け方を変えよう」

と、決意した。

 

このままいくら更新したって、また先月のブログみたいな、

「面白ブロガーを目指す昔の中学生」

的な内容になってしまうし、

 

あるいはその前のブログの、

「病気の村上春樹(村上病樹)」

みたいな文体になってしまう。

 

 

「●月×日に、△△△した話」

と言う形式を捨てよう・・・と、確かにさっきまで、僕は決意していた。

 

 

 

しかしながら、そう簡単にはいかなかった。

実際蓋を開けてみると(否、フリック入力を始めると)、僕は当記事のようなタイトルを、意識的につけてしまっていた。

 

 

無意識で、じゃない。意識的に、である。

僕の頭と指先が、タイトルの変更を拒んでいるのである。

 

 

例えて言うなら今の僕は、半袖の小学生みたいなものなのだ。

 

変なプライドと目立ちたい一心で、真冬にも半袖で登校し、

「なんでこんなことをしているんだろう」

という情けなさと、

「いや、ここまできたら、一年間やり通そう」

という謎の意地が、ごっちゃになっている状態なのだ。

 

 

心のどこかで半袖の僕が、

「ここまできたなら、記事タイトルそのままでやり抜こうよ!」

と、呼びかけているのだ、

 

どうしたもんかと、悩んでいる。前からずっと、こうしてたんだもんな。ここまできて、いきなり、中断するというのは、なかなか難しい。

 

 

まさかこの程度の雑感が、日本の官僚政治と同じ結論に至るとは思わなかった。

慣習を打ち破るのは難しいなぁ。

 

好き放題やれたらいいのにね。自分のブログなんだから。ねー。

9月2日に、熱中症特有のやつだと思った話

日常を、ありのままに記すことは危険だ。嫌なご時世である。

とはいえ、記したって障りないあれやこれやも、あるにはあるので、
そんなこんなをここに記すことで、なんとか日記の体を保っている。いやはや、兎角人の世は、である。



今日は仕事。昨日も仕事だったから、「今日も仕事」の方が的確かもしれない。

職業柄、長時間水分を摂れないことがある。
別にスポ根漫画のように、水なんか飲むな!と強制されているわけでもないのだが、
なんとなくその場の空気とかプレッシャーで、水筒に手を伸ばせないことが、よくあるのだ。

「自分の家だと思ってくつろいでくれ」
って言われても、上司の家では服脱げないでしょう?社会人って、大変ね。


この恐縮の末にあるのは、言うまでもなく脱水だ。
「喉が渇いた・・・」と思った時には、もう遅い。腐っても運動部だったから、よく知っている。

そればかりか、
「喉が渇いた・・・」と思ってもなお、飲まないのだから、結果は火を見るよりも明らか。
熱中症である。

こちとら熱中症だから、火を見る余裕なんかない。
よくわからない倦怠感に襲われて、急激に眠くなったり、腹が痛くなったりする。
電池切れの時計の気持ちというのは、ちょうどこんな感じなんじゃないかと思う。


結局毎回、お仕事が終わって、すぐさま水筒に手を伸ばし、がっつくように水分を摂る。
と、これが本当にいけない。


水分というのは、一気に大量に摂取するべきものではないのだ。
小まめに小まめに、ちょっとずつ体に入れるべきものなのである。太ってたけど運動部だったから、よく知っている。

よく知っているのに、同じミスを繰り返してしまう。
突如流入した水分に対して、身体はものすごくびっくりする。

飲み会の半ばで、来れないはずの人が来た時、みたいな盛り上がり方をする。腹は踊り、腸は笑い、うんこは跳ねる。


うんこは跳ねる。


ついこの間も、こんなことがあった。
用事があって自転車にまたがり、家を出て5分くらいした時に、猛烈な腹痛に襲われたのである。

明らかに、熱中症特有のやつだった。

 

 

熱中症の腹痛は、普通の腹痛とどう
違うかというと、

第一に、段階を踏まない。急にキューーッ・・・と痛くなる。
第二に、ほぼ起伏がない。ずーっと痛い。痛いというか、やばい。漏れそうな状態が、持続するのだ。

 

 

あの時、僕の行く道に、割と小綺麗なデイリーヤマザキがあったから良かったものの。
あのデイリーヤマザキがなかったらと思うと、恐ろしい。熱中症は恐ろしいのだ。

 



今日はその後、件の苦しみと1時間くらい戦った。
どうやら宴たけなわで、ようやく彼らも落ち着いてくれた。やれやれ。



ただもちろん、落ち着いたのは腹部の彼らだけであって、熱中症そのものは改善されていない。
経験上、こういう時は、塩を舐めないといけない。科学的根拠はないけど、塩を舐めると、なんか治った気がするから、人体は不思議だ。

 


食塩を買う為に、コンビニに立ち寄り、気づいたら、ソルティライチを買っていた。

 

 

 

f:id:tagosaku_D_54:20170902180128j:image
腹は二次会か!!!

 


アホ丸出しな買い物をしてしまったが、一応塩分は摂れているから、良しとしてほしい。

 

 

 


ソルティライチに加えて、飲むヨーグルトイチゴ味を買った。
いちごミルクが急に飲みたくなったのだが、売ってなかったので、妥協したのである。

 

 

 

f:id:tagosaku_D_54:20170902180208j:image
妥協したのである、じゃない。
飲むヨーグルトなんて、今この状況では劇薬。
なんで僕は此の期に及んで、腸を活性化させようとしているのだろう。意味がわからない。

 

欲求に正直すぎる自分が情けない。甘い、甘すぎる。

 

 

甘すぎる僕の口を、いちごヨーグルトは甘酸っぱく通過した。
思ってた通りの味だったけど、欲しかった味とは違った。

 


こんな日常を、誰と共有するでもなく、今日も生きた。甘酸っぱさも良いもんだ、と思う。

 

 


一期の思い出。

8月16日に、赤コーラを思う話

赤いし甘い。甘いし赤い。

 

 

何がって、コーラの話だ。前回と似たような書き出しだが、内容はまるきり違う。

単純に、味覚についてのお話だ。

 

 

僕はコーラのことを、色で呼び分ける。

赤コーラとか、黒コーラとか、白コーラとか呼んでるわけで、ほとんどマリオと同じだ。

 

本来はたぶん、コーラと、ゼロカロリーコーラと、トクホのコーラ、とでも呼び分けるべきなんだろうけど、色で呼ぶ方が、よっぽどわかりやすいと思う。

 

 

黒コーラが世の中に現れたのは、いつ頃だったろうか。

調べればすぐわかるのだろうが、あえて調べないで、記憶だけに頼ってみる。

たぶん少なくとも、10年は前の事ではないかな。

 

知らんけども。

 

 

黒コーラが登場するまで、コーラと言えば、赤コーラと、ダイエットコーラしかなかった。

僕はそのころからすでに太っていたので、せめてもの抵抗として、ダイエットコーラを好んで飲んでいた。味が好きだったというのもあるが、赤コーラを口にすることは、あまりなかったのだ。

 

(ちなみに、その頃は赤コーラじゃなくて、普通に『コーラ』と呼んでいた。コーラとダイエットコーラしかなかったから。)

 

 

黒コーラ登場後は、ダイエットコーラから乗り換えて、黒コーラばかりを飲むようになった。

読者諸氏は、覚えておいでだろうか。ダイエットコーラは、ちょっと甘みが足りなかったのである。

 

どちらかというと辛口で、シャープな飲み口が売りだったダイエットコーラに対し、

黒コーラは、ちゃんとコーラの甘さを十分に保ったゼロカロリー飲料だった。

 

 

ダイエットコーラは、一瞬にして駆逐されてしまって、気が付けば世の中には、赤コーラと黒コーラしかなくなっていた。

それぐらい、黒コーラの登場は、衝撃的な出来事だったのである。

 

 

以来、10年近く、僕は黒コーラばかりを、飲んで生きてきた。自販機にしろコンビニにしろ、コーラが飲みたいときは、黒コーラばかりを飲んでいた。

また、母も黒コーラの方が好きだったので、家にコーラがあったとしても、それが赤い色をまとっていることは、ほぼなかった。いや、記憶に頼る限り、一度もなかった。

 

 

赤コーラってどんな味だっけ? と思うほどに、僕は赤コーラと無縁な時間を、何年も送ってきたのである。

 

 

一度だけ、興味本位で赤コーラを買って飲んだことがあったが、あまりの甘さに気持ち悪くなってしまって、半分残して友達に譲ってしまった。

別に嫌いなわけではないのだが、どうしても口の中に、違和感が生じてしまうのである。

 

「知ってるコーラと違うぞ!」

と、味覚が叫んでいるのがわかるのだ。

 

 

もちろん、世間的に見れば、赤コーラのほうが優勢であるのは、百も承知である。

(データとか見てないから、知らないけども。)

 

だがしかし、すでに黒コーラによって調教されてしまった僕の味覚は、赤コーラの侵入を、善しとしないまでになってしまった。

冷やして、氷を入れて、風呂上りに飲んでも、それはなお、であった。

 

 

 

赤コーラについて、ひとつだけいい思い出がある。

中学時代、無人島キャンプ(学校主催の伝統行事で、5泊6日〈当時〉のキャンプを、某無人島で行う。かなりのサバイバル)から帰ってきたときのことだ。

 

兄も父も、同じ中学の卒業生で、二人は口をそろえて、

無人島帰りに最初に飲んだ、三ツ矢サイダーの味が忘れられない」

と言っていたのだ。

 

 

帰り道、駅まで車で迎えに来てくれた母に、

三ツ矢サイダーを買って、持ってきてくれ」

と、頼んでいた。

 

やがて到着した母が持参していたのは、なぜか三ツ矢サイダーではなく、件の赤コーラだった。

「寄ったコンビニの三ツ矢サイダーが売り切れてたので、これで我慢してくれ」

と、母は言った。

 

 

 

ふざけるな!!!!!!!!!

・・・と、思ったけども、迎えに来てもらってる手前、そこまでのわがままは言えない。

 

 

手に入らなかった三ツ矢サイダー

そして目の前には、そんなに好きでもない赤コーラ。

 

 

 

仕方ないかとあきらめて、口をつけたその味。忘れられない。

 

 

 

「こんなに旨い飲み物が世の中にあるのか・・・!」

 

 

 

と、確かに僕は思った。

思ったし、今でも覚えている。あの時飲んだ赤コーラは、僕がこれまで飲んだ飲み物の中で、一番おいしかった。

 

 

 

 

無人島には真水がないので、学校が本土から運んでくるのだが、

伝染病などを防止するため、すべてアツアツに沸かしてしまうのである。煮沸消毒だ。

 

煮沸消毒済みの水(というかお湯)、これを使って麦茶を作り、我々生徒は5泊6日の間、基本的に、この麦茶を水分として生きていかなければならない。

真夏に。くそ暑い中。

 

 

せめてもの抵抗として、麦茶の入ったタンクを海水に漬けたりするのだが、そう簡単には冷たくならないし、時には塩辛い麦茶になったりして、飲めない状態にすらなってしまう5泊6日なのだ。

 

 

そんな5泊6日を終えて、文明あふれる本土に帰還(我々はみんな、帰還と言ってた)し、文明の味の代表格たる赤コーラを口にした、その幸福と言ったらなかったのである。

 

 

あの時、あれだけ美味しいと感じた赤コーラ。

特売で買った1.5リットルが、いま僕の目の前に、鎮座ましましている。

 

 

 

赤いし、甘い。

甘いし、赤い。

 

 

到底、あの日僕が飲んだコーラと同じものとは思えない。

 

思い出補正があるとはいえ、多分もう二度と、あの赤コーラに巡り合える日は来ないのだろう。

あの赤コーラは、思い出の中に咲く、過去のコーラなのだ。

 

 

カコ・コーラ。